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秋田 輝季(あきた てるすえ)は、陸奥三春藩の第3代藩主。秋田家第5代当主。

 
秋田 輝季
Akita Terusue.jpg
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 慶安2年(1649年
死没 享保5年9月19日1720年10月20日
改名 万吉、大蔵(幼名)→輝季
戒名 乾元院殿剛山瑞陽大居士
墓所 福島県田村郡三春町荒町の高乾院
官位 従五位下、信濃
幕府 江戸幕府
陸奥三春藩
氏族 秋田氏
父母 父:秋田盛季、母:正寿院(安藤重長の娘)
兄弟 東太郎、輝季、甚九郎、伊東祐実正室
正室:本性院酒井忠直の娘)
継室:貞厳院秋田実久の娘)
就季、長十郎、亀蔵、勝之進、大助、求馬、松之丞、娘(秋田季成正室)、大姫(酒井親本正室)、他女子3名
養子:頼季

生涯編集

慶安2年(1649年)、第2代藩主・秋田盛季の長男として生まれる。万治元年(1658年)に将軍・徳川家綱御目見し、寛文2年(1662年)に叙任する。延宝4年(1676年)に父が死去したために跡を継ぐ。

藩政では馬産に力を注ぎ、それを競売にかけて藩財政のさらなる発展を遂げるなど、大いに成功を収めている。貞享元年(1684年)には譜代格に任じられた。

しかし晩年、長男の就季が早世するとそのショックから政治力を失って、重臣の荒木高村(藩祖・秋田実季の外孫)に政治の実権を奪われ、正徳5年(1715年)12月7日には高村の長男・頼季に家督を譲って隠居することを余儀なくされた。享保5年(1720年)9月19日に死去。享年72。

輝季の死の翌年から、享保事件と呼ばれるお家騒動が始まることとなる。

関連項目編集

  • 富山の売薬 - 輝季が江戸城において腹痛を訴えた際、この服用によって奇跡的な回復を見せ、以来著名となった。