秋野暢子

日本の女優、タレント (1957-)

秋野 暢子(あきの ようこ、1957年1月18日[1][2][3] - )は、日本の女優、タレントである。本名は同じ[2]

あきの ようこ
秋野 暢子
秋野 暢子
本名 秋野 暢子
生年月日 (1957-01-18) 1957年1月18日(66歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府[1]
身長 170 cm
血液型 A型
職業 女優・タレント
ジャンル テレビドラマ・映画
活動期間 1974年 -
配偶者 田代冬彦(1983年 - 2001年)
著名な家族 長女(1993年生)
事務所 しまだプロダクション
公式サイト スマイルライフ
主な作品
テレビドラマ
おはようさん
赤い激突
スチュワーデス物語
映画
片翼だけの天使
ハッシュ!
 
受賞
キネマ旬報ベスト・テン
第60回(1986年度) 主演女優賞
片翼だけの天使
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大阪府出身[2]四天王寺高等学校卒業[2]三船プロダクション、田中プロモーション[2]アクターズプロモーション、ジェイ・ツー、カフナロックなどを経て、しまだプロダクション 所属。

経歴編集

大阪ミナミの呉服屋の末娘として誕生[1]。小学校の学芸会をきっかけに演劇の道に進み、中学・高校と演劇部に在籍した。

1974年NHK銀河テレビ小説おおさか・三月・三年』にウェイトレス役で出演しデビュー。翌1975年のNHK連続テレビ小説おはようさん』のヒロイン・殿村鮎子役に抜擢され、本格的に女優活動を開始した。1976年TBS赤い運命』では山口百恵と共演した。

1980年代には歌手活動をしており、歌手としてバラエティ番組、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)にはしばしばゲスト出演していた。

その後は、演技派女優、及びタレントとして多くのテレビ番組などに出演している。1986年には映画『片翼だけの天使』で第60回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞。またダイエットへの造詣も深めて講演や解説ビデオの出版等、多方面で活躍を見せている。

現在は大阪を中心に活躍しており、関西ローカルで2005年11月開始の讀賣テレビ放送の情報ワイド番組『激テレ★金曜日』(金曜夕方。週代わりMC)→2006年7月から帯番組化され『情報ライブ ミヤネ屋』の木曜日コメンテーターを担当(2008年9月までレギュラー)。関西ローカル番組では大阪弁で話すことが多い。

私生活では、1983年TBSテレビのプロデューサーだった田代冬彦と結婚。1993年12月に1女をもうけたが、結婚19年目となる2001年に離婚。

2022年7月4日、食道がんの治療に専念するため芸能活動を休止することを所属事務所を通じて発表した[4]

人物編集

私生活編集

広島東洋カープのファンとしても知られ、「広島以外はプロ野球ではありません」とも言っていた。初代広島市民球場での観戦経験も多く、東京でカープの3連戦の試合がある際は、毎回その内必ず2試合を現地で観戦していたという。このように熱狂的な女性カープファンであることから、元祖「カープ女子」と呼ばれている[5]

がん治療編集

秋野は2022年6月、頸部食道がんなど、5つもの重複がんにかかっていたことが分かった。テレビ朝日のインタビューに答えた秋野は「2021年12月ごろから、のどが引っかかるような感じがして、梅干しの種があるような感じ。2021年11月の人間ドッグや内視鏡検査を受けたときは特に問題がなかったので『なんだろうな?』と思い、針治療や整体などで調べたが、わからなかった。2022年6月にもう一度内視鏡検査をしたところ、進行性の食道がんだったことがわかり、半年間の間に進行したんだろう」と分析している。

そこで主治医からは手術をするか、抗がん剤投与をしながら放射線治療もセットで行う「化学放射線療法」のどちらかを示されたが、秋野のがんは声帯近くにあり、手術をすると声帯を失うリスクを背負う。しかし、後者の場合は、がんの再発や転移などのリスクが高まるが、声帯は残すことができる。「私は当然しゃべること(セリフやインタビューなど)が仕事です。手術すると、しゃべることができなくなるのでとても困るなと思い、『私は手術を選べないんです。何とか手術をしないで治す方法がありませんか?』と相談し、『科学的な放射能治療で、抗がん剤と放射能を使うやり方がありますのでどうしますか?』という話になりました。この化学放射能治療は効く人と聞かない人とがいるが、『先生、それにかけてみます』といって、放射能治療を選びました」とのことである。

こうして、秋野の体調を見ながら、24時間投与の点滴を5日間・4セットで行い、それと並行する形で、秋野の上に書かれた目印に放射線を打つ治療(少しでもずれが生じてはいけないため、体を固定する必要がある)を受け、1日1回・合計30回をほぼ1か月かけて行ったが、20回目あたりに入ってから「放射能を当てているのでやけどなんですよね。中のがんを焼いているわけです。のどの中に剣山が入っているみたいな感じなので、水を飲んでも痛いみたいな」と、喉に激痛を覚えたが、その痛みが2日間程度続いたのち、痛みが引いた際に、「皮膚がペロッと捲れた。やけどの痕のように捲れたら、そこにはきれいな肌が見えた。『やった!』と思った。これが捲れたらきれいな肌になると思っていたら、実際首のしわが減ったんですよ。悪いことばかりじゃないなと。そういう風に思って、これを乗り切ろう。これがきれいに取れたら、きれいな首になるんだと思って頑張ろうみたいな」と、体の異変を感じたという[6]

抗がん剤を投与する前に、自ら髪をそった。秋野は「髪が抜けると枕や病室に散らばったりする。私はそれが抜けると気になるので、どうせ抜けるのならばと自分でそったんです」という[7]。なお、秋野に投与される抗がん剤は余り毛が抜ける種類のものでは無かったため、逆に医師からも秋野の頭を見て、驚かれたことを治療後に出演した『徹子の部屋』で語っている[8][9]。その後、がんが消滅していることがわかり、退院後週1回のヨガと週2回のジムでの筋力トレーニングに尽力しており、「がんの主治医は自分。医者はサポーターであり、医者に丸投げをするのではなく、自分で考えて治療することが大切」と説いている[7]

その他編集

料理もプロ級の腕並みを持っていて、料理本も数冊出版している。

出演したテレビ番組でタレント候補が話題となった際、自身も過去、立候補を要請され、「自分は政治の素人だから」という理由で断ったことを明かした[10]

かねてよりTBSラジオのヘビーリスナーを公言していたが平成23年6月28日に念願の『小島慶子 キラ☆キラ』にゲリラ出演を果たした。

北海道夕張郡由仁町のふるさと大使を務める。

甘いものが苦手。チョコレートを食べると耳の中で黒板を引っ掻くような音がするという。

水泳ジョギングを特技の一つとしている[2]

出演編集

テレビドラマ編集

バラエティほか編集

映画編集

舞台編集

声優編集

CM編集

著書編集

  • 『Pop,step,shape! イメージするだけでやせる!』(ムックの本) ロングセラーズ, 1987.7
  • 『あいしてるよマクリー マッシュタウンの不思議なお話 ハートフル・メイド<Super ehon>』企画&文, 熊倉宏withキャラクターバンク 絵. ワニブックス, 1994.3
  • 『ポジティブダイエット』TBS「The・プレゼンター」共編. ブックマン社, 1995.7
  • 『天使にラブレター』(1995年、扶桑社
  • 『ビシッとやせられる料理本を、秋野暢子から。』講談社, 1998.6
  • 『男をビシッとやせさせる 秋野暢子が男たちのお腹の脂肪をとる』ワニブックス, 1999.5
  • 『ビシッとやせられる料理本を、秋野暢子から。 バシッとpt.2』講談社, 1999.9
  • 『秋野暢子のキレイにやせて二度と太らない』 (Fytteプロポーションブック) 監修. 学習研究社, 2001.2
  • 『たるまない女。になる―からだと心のムダをそぎ落とす』(2002年、青春出版社)
  • 『秋野暢子さんちのスリムな生活やせる知恵 (Fytteプロポーションブック) 監修. 学習研究社, 2002.4
  • 『秋野暢子のキレイにやせる本―秋野流ダイエットでラクラクやせて、もう太らない!』監修(2003年、学研
  • 『スーパースマイルダイエット―笑うほどヤセる!キレイになる!!』(2006年、ニューズ出版
  • 『秋野暢子のキレイにやせて二度と太らない』監修(2006年、学習研究社)
  • 『「走ってみたい」と思っちゃう本 その気分だけでもう勝者! コレで、あなたは変わる』(2007年、ベストセラーズ
  • 『からだの中に風が吹く!10カウントブレスヨガ』(2020年、幻冬舎

ディスコグラフィー編集

シングル
  • 1977年、「愛はみなし児」 c/w 「雨だれ模様」(C-45)
  • 1985年、「よろしかったらお寄んなさいよ」 c/w 「今は抱きしめて」(7K-190、秋野暢子 with KINTA名義)
  • 1986年、「HOLD ME 抱きしめて」(7K-224、映画『片翼だけの天使』主題歌)
  • 1987年、「恋のバカンス」 c/w 「Oh My Idollll(そんなあなたでも)」(7BAS-16、YOKO AKINO & P-夏 ALL-STARS名義)
  • 1988年、「だまされ天然!」 c/w 「NOGAKI-MAN」(10BTC-249)
  • 1989年、「愛をふりかけて」 c/w 「き・ら・い」(10BTC-260、フジテレビ系情報番組『と〜んでもない』オープニング・テーマ)
アルバム
  • 1989年、「Oh!ト・モ・ダ・チ・ハ 1000000カラット・ダイヤモンド」(32BTC-252)
NOGAKI-MAN/サンキュー内臓/君と月まで/愛をふりかけて/き・ら・い/でも君と白浜の海/半農半漁の数え唄/だまされ天然!/DA DA/すべていとしいあなたのために/ぼくが君を知っている
参加作品
  • 1980年、「猿飛佐助サウンドトラック」(40AH-10267、アルバムB面5トラック目の「黄昏うらない」を歌唱)

脚注編集

注釈編集

  1. ^ パナソニックドラマスペシャル」として放映予定だったが、2011年3月11日の東日本大震災発生に伴う広告活動自粛のため、ノースポンサードでの放送となった。

出典編集

  1. ^ a b c 「秋野暢子」さん|すまいの履歴書~インタビュー私のいえ~ 2014/6/17 住友不動産販売
  2. ^ a b c d e f 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、233頁。 
  3. ^  秋野暢子オフィシャルブログ「ウイニングラン」プロフィール
  4. ^ “女優の秋野暢子 食道がんを公表 治療で芸能活動休止 事務所発表「突然の事に戸惑い驚愕」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2022年7月4日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/07/04/kiji/20220704s00041000343000c.html 2022年7月4日閲覧。 
  5. ^ 2014年5月10日、広島ホームテレビ『鯉のはなシアター
  6. ^ 秋野暢子さん のどに違和感「食道がん」判明までの経緯と4カ月半の闘病生活(テレビ朝日)
  7. ^ a b 「がんの主治医は自分」秋野暢子さん がんを患って…いま、伝えたいこと(テレビ朝日)
  8. ^ 食道がんから復帰の秋野暢子 手術ではなく化学放射線療法を選択した理由とは スキンヘッドにするも…”. スポーツニッポン (2023年2月13日). 2023年2月15日閲覧。
  9. ^ 宮澤諒 (2023年2月13日). “食道がんから復帰の秋野暢子、入院中のスキンヘッドは“勘違い”がきっかけ 「徹子の部屋」で真相明かす”. ねとらぼ. 2023年2月15日閲覧。
  10. ^ 『第4回教えてMr.ニュース 池上彰のそうなんだニッポン』 2010年5月28日放送
  11. ^ 『とと姉ちゃん』ヒロイン父に西島秀俊 追加キャスト15人発表”. ORICON STYLE (2015年11月6日). 2015年11月6日閲覧。

外部リンク編集