秦野盆地(はだのぼんち)は、神奈川県西部の盆地丹沢山地(丹沢山塊)に南隣し、秦野市の市域の中心部を形成する断層角盆地である[1]

秦野盆地の位置
権現山(弘法山)から見た秦野盆地。中央に広がるのが秦野市街。画面奥が渋沢地区

地理 編集

北方の丹沢山地と南方の渋沢丘陵の間、中央に位置する東西約6.5km、南北約4kmの断層盆地で、神奈川県で唯一の典型的な盆地である[2]。盆地底は水無川など4河川の複合扇状地で構成される[1]

盆地の東西を横切る形で東名高速道路国道246号小田急小田原線が走っている。

明治期以来、市場距離の影響の少ない葉たばこ生産と、それを基幹とする陸稲、落花生、麦、ソバなどとの輪作型が発達していた[1]。しかし、1956年(昭和31年)の工場誘致条例の制定や、1961年(昭和36年)の曽屋原工業団地と平沢・堀山下工業団地の完成によって、農業労働力の吸収や農耕地の縮小が進んだ[1]葉たばこは全国三大銘葉のひとつに数えられたが、1984年に葉たばこ生産は終了した。[要出典]

1960年(昭和35年)以後、農畜産業は農業経営の集約化を図った畜産、果樹、野菜、施設園芸が主となった[1]

秦野盆地湧水群 編集

 
護摩屋敷の水
 
竜神の泉
 
弘法の清水

秦野盆地の地下構造は丹沢山地からの雨水や盆地内の雨水をため込む地下水盆となっている[3]。秦野盆地扇端部には地下水が湧出しており、その豊富な地下水を水源として全国で3番目に近代的な上水道が整備された[4]。市内には地下水が自噴する20を超える湧水群があり[3]秦野盆地湧水群として1985年昭和60年)名水百選[5]の一つに指定されている。

主な湧水地 編集

他にも、秦野駅近辺や丹沢山麓に多くの湧水がある。

名水の危機と復活 編集

秦野市では地下水の量と質に関わる二度の危機があった[3]

まず1965年(昭和40年)から1974年(昭和49年)頃にかけて急激な水需要の増加により、湧水や浅井戸で水枯れが問題となった[3]。そのため1973年(昭和48年)に環境保全条例が施行され、1975年(昭和50年)には日本初の地下水利用による協力金負担協定が結ばれた[3]

1989年(平成元年)には化学物質による地下水汚染が問題になった[3]。湧水の代表的な地点である「弘法の清水」が、塩素系有機化合物テトラクロロエチレンに汚染されていることが週刊誌の報道で判明した。そこで水質保全のため1994年(平成6年)に日本国内では例のなかった汚染原因者負担を原則とする「地下水汚染防止及び浄化に関する条例」を制定した[3]。さらに2000年(平成12年)に「地下水保全条例」を施行し、2003年(平成15年)には「地下水総合保全管理計画」を策定した[3]。そして2004年(平成16年)に「秦野盆地湧水群」の名水復活宣言をおこなった[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 沢田裕之「神奈川県秦野市の花き温室園芸」『地理学評論』第45巻第8号、公益社団法人 日本地理学会、1972年、549-560頁。 
  2. ^ 小塚広之、池貝隆宏「秦野市におけるヒートアイランドの形成・消滅過程」『神奈川県環境科学センター研究報告』第32号、神奈川県環境科学センター、2009年、100-105頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i 神奈川県秦野市 名水の魅力を全国ブランドに”. 内閣官房. 2024年1月16日閲覧。
  4. ^ 秦野の水道の歴史・曽屋水道記念公園 - 秦野市上下水道局
  5. ^ 秦野盆地湧水群 - 名水百選 -環境庁

関連項目 編集

外部リンク 編集