称名寺 (加古川市)

日本の兵庫県加古川市にある寺院

称名寺(しょうみょうじ)は加古川市加古川町にある寺である。本尊は阿弥陀如来である。加古川城跡に建っている。境内にはイチョウの大木があり、加古川町の目印となっていた。

称名寺
所在地 兵庫県加古川市加古川町本町313
位置 北緯34度46分7.8秒 東経134度49分49秒 / 北緯34.768833度 東経134.83028度 / 34.768833; 134.83028
山号 佛頂山
宗派 高野山真言宗
寺格 高野山遍照院末
本尊 阿弥陀如来
創建年 不詳
開山 伝 聖徳太子
中興 宥雅
法人番号 6140005009703 ウィキデータを編集
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概要 編集

兵庫県立加古川西高等学校の筋沿いにある。

称名寺は、聖徳太子により開山されたと伝えられる。開山当初は西光寺と号した。鎌倉時代に雁南庄(今の加古川町西部)領主であった糟屋有教が、加古川城を築いた時期から糟屋氏の菩提寺とした。延文3年8月(1358年9月)に大洪水により七堂伽藍がすべて流失したが、貞治2年4月頃(1363年5月)有教の曾孫である保連が再建した。その後、戦乱の火災に遭ったが、糟屋武則が客堂を寄進した。慶長8年3月3日(1603年4月14日)、高野山遍照院の寛海上人が勝名院に改名したが、後の時代に称名寺と再度改名された。慶長11年9月27日(1606年10月28日)、池田輝政、奉行中村主殿介により、上田三段の寄付を受けた。元和5年10月22日(1619年11月27日)板倉勝重は、寺領6石を寄付した。その後、再度火災に遭ったが、元禄4年(1691年)に現在の伽藍が再建された。

伽藍 編集

  • 不動堂(本尊 不動明王)
  • 大師堂(本尊 弘法大師)
  • 観音堂(本尊 聖観音菩薩)
  • 阿弥陀堂(本堂)(本尊 阿弥陀如来)
  • 毘沙門堂(本尊 毘沙門天)
  • 八幡宮

宝物 編集

  • 弘法大師坐像
  • 毘沙門天像
  • 吉祥天女像
  • 不動明王像
  • 軍荼利明王像
  • 降三世明王像
  • 大威徳明王像
  • 金剛夜叉明王像
  • 金剛界大明如来像
  • 聖観音像
  • 御即位式行幸図屏風

行事 編集

  • 毎月21日 - 大師講
  • 1月5日・9月28日 - 不動祭の護摩供奉修
  • 1月7日 - 毘沙門天祭
  • 8月15日 - 施餓鬼法要

七騎供養塔 編集

境内には七騎供養塔があり、文政3年(1820年)に建立された。南北朝時代正平5年(1350年)、塩冶高貞が、事実と異なる密告によって京都を追われ、本国の出雲国へ落ちて行く時、足利尊氏の軍勢に追われ、現在の加古川市米田町船頭の附近で追いつかれた。その時、弟の六郎ほか郎党七人が、主君のためこの場所に踏みとどまり、足利の軍勢と激しく戦い、全員討死した。この塔は、彼ら7人を供養するために建立された。撰文および書は、頼山陽の筆によるものである。山田佐右衛門が願主となり、川西彦九郎、桜井九郎左衛門が施主となって完成させた。

参照文献 編集

  • 加古川市『加古川市誌』 第1巻、加古川市、1953年6月15日、297-300頁。 
  • 兵庫大学短期大学部『加古川市寺院総覧』2000年8月31日、50頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集