稲葉 尊通(いなば たかみち)は、豊後国臼杵藩の第12代藩主

 
稲葉尊通
稲葉尊通像(臼杵市・月桂寺所蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 享和元年2月12日1801年3月26日
死没 文政4年10月17日1821年11月11日
改名 虎太郎、尊通
戒名 本隆院殿一道宗生大居士
墓所 大分県臼杵市の月桂寺
東京都港区高輪東禅寺
官位 従五位下民部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
豊後臼杵藩
氏族 稲葉氏
父母 稲葉雍通有馬頼貴の娘・澄
兄弟 尊通幾通通臧通孚松平康爵正室、松平輝茂正室
養子幾通
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略歴 編集

文政3年(1820年)5月6日、父から家督を譲り受けたが、藩主の激務は体がもともと弱かった尊通をさらに衰弱させた。文政4年(1820年)に宇和島藩主の三女との間で結ばれていた婚約を破棄し、江戸から臼杵へ帰国したが、発熱するようになり[1]、同年10月17日に21歳で死去した。

嗣子がないため、急遽、家老が江戸に上り、父の雍通と協議の上、弟の幾通仮養子の届けを幕府に提出。その後、養子が認められたため、幾通が次代の藩主となった。

系譜 編集

父母

養子

出典 編集

  1. ^ 江後迪子 (1999年). 隠居大名の江戸暮らし. 吉川弘文館. p. 161ページ. ISBN 4-642-05474-X