稲葉 通孝(いなば みちたか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名稲葉貞通の三男。

 
稲葉通孝
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 慶長12年7月26日1607年9月17日
官位 従五位下修理亮
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠
氏族 稲葉氏
父母 父:稲葉貞通、母:織田信秀娘・神保・稲葉夫人
兄弟 典通赤座弥助室、中坊秀政正室、秀方
通孝大学玉雲院織田信秀室)、
柴田勝豊
通照権三郎徳川頼宣に仕える)、女子
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生涯編集

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは父・貞通は最初西軍であったためこれに属したが、父について東軍に寝返ったことを評価され、論功行賞で豊後国臼杵に加増転封となった父に同行した。のち豊後国内において1万4000石余を分与される。慶長12年(1607年)、伏見において死去した。長男・通照がいることを生前に幕府に届けていなかったために無嗣改易となり、所領は長兄の典通に還付された。通照は寛永元年(1614年)に幕府に召し出され、のちに500俵を給され、子孫は700石の旗本となった。寛政2年(1790年)、通生の代に不行跡により350石に減封され、そのまま明治維新を迎えている。

先代:
豊後国
1600年 - 1607年
次代:
改易