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稲葉 通重(いなば みちしげ、? - 元和4年(1618年)6月)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名美濃清水藩主。通称は新左衛門。甲斐守。

生涯編集

稲葉重通の子。母は吉田浄忠の娘。慶長3年(1598年)に父が死去したため、家督を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、叔父の貞通と共にはじめ西軍に属し、後に東軍に寝返った。そのため、戦後に所領を安堵された。

ところが慶長12年(1607年)12月、天野雄光津田信成ら数名と京都の祇園で遊んでいたとき、酒乱のために茶屋四郎次郎後藤庄三郎などの富商の婦女7・8人を強引に茶店に引き入れて酒を飲ませる、後藤の従者を木に縛り付け、刀を抜いて斬り捨てると脅す等の乱行を起こしたため、幕命により改易され、常陸国筑波に流罪とされた。清水藩は廃藩となった。

元和4年(1618年)6月、配所の筑波にて死去した。嫡男の稲葉通勝は同族の稲葉正勝の家臣となっている。