穆王八駿(ぼくおうはっしゅん)は、中国の伝説に登場する8頭の駿馬。

紀元前11世紀頃の王朝の穆王が所有していたとされる。

八駿図:左上から時計回りに驊騮、緑耳、赤驥、盗驪、白義、踰輪、山子、渠黄。(漢字儘)

説話集や伝記等の歴史書 編集

拾遺記 編集

拾遺記[1]によると、大地を踏み荒らさず、飛ぶように走ることができる「絶地(ぜっち)」、猛禽(鳥)よりも速い「翻羽(ほんう)」、一夜で万里(5000km?)を走る「奔霄(ほんしょう)」、太陽の後を追って走ることができる「越影(えつえい)」、色鮮やかな毛を持つ馬で、光のように明るく輝く「逾輝(ゆき)」、余りの速さに10の影を持つ馬「超光(ちょうこう)」、雲に乗って走れる「騰霧(とうむ)」、翼を持つ「挟翼(きょうよく)」の8頭で構成される。説明の通り、これらは速さにちなんで名づけられていると考えられる。

穆王はこの馬達に馬車を引かせ、中国全土を巡った。その旅の途中で、神々の住む崑崙山にも立ち寄ったという。

穆天子伝 編集

穆天子伝[2]では馬の名前は「赤驥(せきき)[3]」、「盗驪(とうれい)」、「白義」、「逾輪(ゆりん)」、「山子」、「渠黄(きょこう)」、「驊騮(かりゅう)」、「緑耳」であり、性質については何も書かれていない。これらは、毛の色にちなんで名づけられている[4]と考えられる。御者は造父中国語版である。

列子 編集

列子[5]の文献にも『穆天子伝』同様の記述がある[6]。登場するのは「𦽊騮」「緑耳」「赤驥」「白𣚘(はくぎ)」「渠黄」「踰輪」「盗驪」「山子」。ただし、『穆天子伝』の方は、「踰輪」ではなく「逾輪」(yú lún)、「白𣚘」ではなく「白義」(bái yì)、「𦽊騮」ではなく「驊騮」(huá liú)となっているなど、同音でも多少表記が違う部分もある。

博物志 編集

博物志英語版[7]には「赤驥」「飛黄」「白義」「華騮」「騄駬」「騧騟」「渠黄」「盗驪」と別のパターンも見られる。『列子』と同じ音なのは赤驥、白義、驊騮、騄駬、渠黄、盗驪。発音が明らかに違うのは飛黄、騧騟。

物語 編集

西遊記 編集

西遊記[8]にて、名馬の名前の内に挙げられる場面がある。

乃是:驊騮騏驥,騄駬繊離;龍媒紫燕,挟翼驌驦;駃騠銀騔,騕褭飛黄;騊駼翻羽,赤兔超光;踰輝弥景,騰霧勝黄;追風絶地,飛翮奔霄;逸飄赤電,銅爵浮雲;驄瓏虎𩤲,絶塵紫驎;四極大宛,八駿九逸,千里絶群。此等良馬,一个个嘶風逐電精神壮,踏霧登雲気力長。

類書 編集

類書とは、要は辞書や字引のようなものである。

太平広記 編集

太平広記[9]にも「絶地」「翻羽」「奔霄」「越影」「逾輝」「超光」「騰霧」「挟翼」という『拾遺記』と似た記述がある[10]

地誌 編集

水経注 編集

水経注[11]には驊騮、緑耳、盗驪[12]が登場する[13]

編集

  • 晩唐の詩人李商隠の『瑶池』より。

瑶池阿母綺窗開,黄竹歌声動地哀。八駿日行三万里,穆王何事不重来。

— 李商隠、瑶池[14]

穆王八駿走不歇,海外去尋長日月。五雲望断阿母宮,帰来落得新白髪。

— 劉叉、観八駿図[16]

また、穆王八駿を直接指さずとも、8頭の馬というものが縁起の良いものとして描かれることもある。

  • 杜甫の詩『城上』より。

草満巴西緑,空城白日長。風吹花片片,春動水茫茫。
八駿随天子,群臣従武皇。遥聞出巡守,早晩遍遐荒。

— 杜甫、城上[17]

散文 編集

柳宗元の作品 編集

古之書有記周穆王馳八駿升昆侖之墟者,後之好事者為之図,宋、斉以下伝之。観其状,甚怪,咸若騫,若翔,若龍、鳳、麒麟,若螳螂然。其書尤不経世多有,然不足采。世聞其駿也,因以異形求之。則其言聖人者,亦類是矣。故伝伏羲曰牛首,女媧曰其形類蛇,孔子如倛頭。若是者甚衆。
孟子曰:“何以異于人哉?堯、舜与人同耳!”今夫馬者,駕而乗之,或一里而汗,或十里而汗,或千百里而不汗者。視之,毛物尾鬣,四足而蹄,齕草飲水,一也。推是而至于駿,亦類也。今夫人,有不足為負販者,有不足為吏者,有不足為士大夫者,有足為者。視之,圓首横目,食穀而飽肉,絺而清,裘而燠,一也。推是而至于聖,亦類也。然則伏羲氏、女媧氏、孔子氏,是亦人而已矣;驊騮、白義、山子之類,若果有之,是亦馬而已矣。又烏得為牛、為蛇、為倛頭,為龍、鳳、麒麟、螳螂然也哉!
然而世之慕駿者,不求之馬,而必是図之似,故終不能有得于駿也。慕聖人者,不求之人,而必若牛、若蛇、若倛頭之問,故終不能有得于聖人也。誠使天下有是図者,挙而焚之,則駿馬与聖人出矣!

— 柳宗元、観八駿図説[18]

現代での扱い 編集

  • 八駿を挙げる際、例えば驊騮と華騮など、今日では様々な書物由来の表記(漢字)の違いはあまり意識されず、各所で入り混じって使われている。
  • 八駿の中でもいくつかの名は、より一般的な意味を示す語として使われることもある。(例 驊騮:赤栗毛の馬全般を指す)
  • 競走馬の名前の訳に取り入れられることもある。(例 ダイワスカーレット→大和赤驥)

参考文献 編集

関連リンク 編集

注釈 編集

  1. ^ 「王馭八龍之駿:一名絶地,足不践土;二名翻羽,行越飛禽;三名奔霄,夜行万里;四名越影,逐日而行;五名逾輝,毛色炳耀;六名超光,一形十影;七名騰霧,乗雲而趨;八名挟翼,身有肉翅。」
  2. ^ 『穆天子伝』巻一より。「天子之駿:赤驥、盗驪、白義、逾輪、山子、渠黄、驊騮、緑耳。」
  3. ^ 『穆天子伝』巻四より。「癸酉,天子命駕八駿之乗、赤驥之駟,造父為御,□南征翔行,逕絶翟道(翟道,在隴西,謂截隴坂過)。升于太行,南済于河,馳駆千里,遂入于宗周。」
  4. ^ 以下の解釈は諸説ある。赤驥:燃えるような赤の馬、盗驪:純黒の馬、白義:純白の馬、逾輪:緑がかった紫の馬、山子:灰色がかった白の馬、渠黄:鵝黄色(ガチョウのひなの綿毛のような淡黄色)の馬、驊騮:黒いたてがみと黒い尾を持つ赤い馬、緑耳:緑がかった黄色の馬。
  5. ^ 『列子集釈』巻三「周穆王篇」参照。
  6. ^ 「王大悦,不恤国事,不楽臣妾,肆意遠遊。命駕八駿之乗:右服𦽊騮而左緑耳,右驂赤驥而左白𣚘,主車則造父為御,𧮼𠱛為右。次車之乗,右服渠黄而左踰輪,左驂盗驪而右山子,柏夭主車,参百為御,奔戒為右。馳駆千里,至于巨搜氏之国。巨搜氏乃献白鵠之血以飲王,具牛馬之湩以洗王之足,及二乗之人。已飲而行,遂宿于昆侖之阿,赤水之陽。」
  7. ^ 「古駿馬有飛兔、腰褭。周穆王八駿:赤驥、飛黄、白義、華騮、騄耳、騧騟、渠黄、盗驪。唐公有驌驦。項羽有騅。」
  8. ^ 第四回『官封弼馬心何足 名注斉天意未寧』
  9. ^ 『太平広記』巻四百三十五「畜獣二・馬・周穆王八駿」
  10. ^ 「周穆王即位三十二年,巡行天下,馭八龍之馬,一名絶地。足不践土;二名翻羽,行越飛禽;三名奔霄,夜行万里;四名越影,逐日而行;五名逾輝,毛色炳耀;六名超光,一形十影;七名騰霧,乗雲而趨;八名挟翼,身有肉翅。遍而駕焉,按轡徐行,以巡天下之域。穆王神智遠謀,使跡轂遍于四海,故絶地之物,不期而自報。」
  11. ^ 『水経注』巻四
  12. ^ 加えて、穆王八駿ではない(と思われる)、騏驥と繊離も登場する。少なくともいずれも名馬の名前である。
  13. ^ 「湖水出桃林塞之夸父山,其中多野馬。造父于此得驊騮、緑耳、盗驪、騏驥、繊離。乗以献周穆王,使之馭以見西王母。」
  14. ^   李商隠 (中国語), 瑤池, ウィキソースより閲覧。 
  15. ^ 韓愈の家で盗みを働いたとされる。
  16. ^   劉叉 (中国語), 觀八駿圖, ウィキソースより閲覧。 
  17. ^   杜甫 (中国語), 城上(杜甫), ウィキソースより閲覧。 
  18. ^   柳宗元 (中国語), 觀八駿圖說, ウィキソースより閲覧。