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積川神社(つがわじんじゃ)は大阪府岸和田市にある神社和泉国和泉郡式内社で、和泉五社の一つ(和泉国和泉国四宮)。旧郷社。勅願社である。

積川神社
積川神社拝殿
拝殿と二の鳥居
所在地 大阪府岸和田市積川町350
位置 北緯34度25分30.42秒
東経135度26分21.75秒
主祭神 生井神
栄井神
綱長井神
阿須波神
波比岐神
社格 式内社(小)
和泉国四宮
郷社
創建 崇神天皇年間
本殿の様式 三間社流造桧皮葺
例祭 10月8日
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歴史編集

崇神天皇の御代に創立されたと言われる。

『大阪府史蹟名勝天然記念物』の岸和田市積川神社の項には、「白河上皇熊野御幸のとき、八木郷額原に於て、本社を遑(遙カ)拝あらせられ、芝草を積みて、舞台となし、舞楽を奏せしめ給ひし時、上皇傍の鳥居に掲げたる扁額の筆蹟の拙きをみそなはせられ、親ら筆を執りて『正一位 積川大明神』の八字を大書して之に代へさせ給ひしといふ」という社伝が紹介されている。

永暦元年(1160年)10月の後白河院による熊野御躰を勧請に際して、養和元年(1181年)に積川社は今熊野社領諸国荘園28箇所の一つとして寄進された。

永万元年(1165年)の神祇官諸社年貢注文には、和泉五社の他の四社とともに都の神祇官に直属して、その御年貢進社とされ、泉州特産のを納めていたことが記されている。

建保5年(1217年)の後鳥羽・女院両院の御幸記には、泉州路で種(積)川使を勤めた者についての記述があり、 熊野御幸の路次の各名社に院の奉幣使が立てられたことが示されている。

 
積川神社本殿(文禄年間、三間社流造)

現在の本殿は、慶長年間に豊臣秀頼片桐且元に命じて大修理が行われ現在に至る。

寛永17年(1640年) 岡部宣勝が摂津国高槻藩より入封した際、和泉国岸和田藩濱村にあった一の鳥居を和泉国淀藩八木村額原に移動される。

明治39年(1906年)8月14日の内務省神社・宗教両局長依命通牒によるいわゆる「神社合祀」で、泉南郡山直上村では稲葉、中村、包近(かねちか)の三神を、郷社積川神社に合祀せよとの方針が示されたが、稲葉村の井坂楠太郎の反対運動によってこの合祀方針を断念させた。 これとは別に、上述の「神社合祀」で、明治40年(1907年)11月9日、積川村にあった八坂神社、菅原神社、白鬚社の各村社が積川神社に合祀された。

本殿は大正3年(1914年)に古社寺保存法に基づいて特別保護建造物に指定され、昭和4年(1929年)には国宝保存法成立によって国宝となった。現在は昭和25年(1950年)の文化財保護法施行により、重要文化財に指定されている。

遙拝所編集

積川神社遥拝所は大阪府岸和田市小松里町北額(額町)の府道30号線熊野古道)沿いにある。積川神社の氏地は牛滝川に沿って磯上町付近までに及び、遠方の氏子が積川神社に参拝できるよう、中間地点付近に遥拝所が設けられた。

熊野古道沿いにあるため、熊野参詣をする皇族・公家が勅願社である積川神社を遥拝する場所にもなった。上述の白河上皇が扁額を書かれたのは寛治4年(1090年)のことで、現在掲げられているものはその模写である。

また、かつて岸和田浜御旅所が設けられていたが、岸和田城下の建設に伴い、当地へ移されている。

文化財編集

  • 神像 - 木造、府指定有形文化財。
  • 神輿 - 淀殿奉納といわれる。重要文化財申請中。
  • 石灯籠 - 正平7年(1352年)、楠正義の寄進による。本殿の前にある1対の石灯籠がそれである。
  • 古鏡
  • 扁額 - 寛治4年(1090年)、白河上皇の筆による。府指定有形文化財

境内社編集

  • 天神社(てんじんしゃ)
  • 八坂社(やさかしゃ)
  • 白髪社(しらがしゃ)
  • 戎社(えびすしゃ)

ギャラリー編集

外部リンク編集