立花 京子(たちばな きょうこ、 1932年 - 2011年[1])は、日本の歴史家。東京出身。日本中世史(戦国史)について執筆活動をする。

お茶の水女子大学理学部数学科卒業。東京教育大学理学研究科数学専攻修士課程修了。

1987年から1996年まで朝日カルチャーセンターで古文書講座(講師は林英夫立教大学名誉教授)を受講。その間1990~2001年一橋大学経済学部池享教授ゼミに参加。2000~2002年神奈川大学経済学部三鬼清一郎教授ゼミに参加。2002年「信長権力と朝廷」でお茶の水女子大学人文科学博士。

織田信長三職推任問題に関する研究で「晴豊公記」の新解釈を示し、今谷明に評価された。『信長と十字架』では、信長はイエズス会の支援を受けて天下統一の事業に乗り出したが、後にイエズス会に見捨てられ、本能寺の変で謀殺されたと主張した。しかし、鈴木眞哉を代表として、立花の史料検証を批判する者も多い。

著書 編集

  • 『信長権力と朝廷』(岩田書院、2000年)
  • 『信長と十字架―「天下布武」の真実を追う』(集英社新書、2004年)

脚注 編集

  1. ^ 藤田達生「立花京子氏を悼む」『織豊期研究』第13号、2011年