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立花 致傳(たちばな よしひろ、享保20年4月20日1735年6月10日) - 安永5年(1776年))は筑後国柳河藩重臣。柳河藩主に嗣子がいない場合に跡継ぎを輩出するために創設された御一門の一つ、立花監物家祖。父は藩主立花貞俶、実母は笠間浅右衛門の娘、すえ。幼名は久松、通称は主悦。同母姉弟に小野隆局(若狭)夫人、戸次通孝、矢島通経。

経歴編集

柳川城二の丸にて出生[1]。元服時には、藩主で異母兄の立花鑑致(鑑通)より「致」の一字を拝領され、致傳と名乗る。この「致傳」という名(特に二文字目の「傳」)は藩儒の安東問庵の考案とされる。宝暦2年(1752年)に主悦の通称を称し、1000石与えられて、家臣の列に加わる。嗣子なく死去したために家老立花三右衛門の養子になっていた異母弟の立花政良(内膳)が致傳の名跡を相続。

脚注編集

  1. ^ 元文3年(1738年)以降、柳河藩の奥(江戸幕府大奥に相当)機能は柳川城二の丸から花畠に移転した

参考文献編集

  • 「旧柳川藩志」(柳川・山門・三池教育会編、1957年
  • 「柳川市史別冊・図説立花家記」(柳川市史編集委員会編集、2010年3月30日発行)