竹岡 吉太郎(たけおか きつたろう[1]1871年明治4年6月[2][3])- 1947年昭和22年)[1])は、昭和時代前期の政治家大分県中津市長

経歴 編集

大分県出身[2][3]。竹岡茂平の長男[2]1885年(明治18年)大阪専修学校を卒業後、東京杉浦商店に入社し浦塩支店に勤務する[3]ロシア語を学び1890年(明治23年)帰朝したのち廻船業を経営する[3]。ついで中津町会議員、同市会議員、同議長を経て、1934年(昭和9年)中津市長に就任した[3]。ほか、下毛銀行、耶馬渓鉄道各取締役、日本電気鉄工監査役[2]九州水力電気中津営業所長、中津販売組合理事、大分県会議員などを歴任した[3]

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『大分県歴史人物事典』315頁。
  2. ^ a b c d e f g 人事興信所 1928, タ179頁.
  3. ^ a b c d e f 帝国自治協会 1938, 108頁.

参考文献 編集