笑い女(わらいおんな)は、土佐国山北(現・高知県香南市)に伝わる妖怪江戸時代末期から明治時代初期の作と見られる妖怪絵巻『土佐化物絵本』に記述がある。毎月1日、9日、17日に山に入るとこれに遭い、半死半生になってしまうといわれた。「勝賀瀬の赤頭」「本山の白姥」と並び、土佐の3大妖魔の一つとされる[1]

『土佐化物絵本』より「笑い女」

概要 編集

あるとき、樋口関太夫という者がこの言い伝えを無視し、家来たちを引き連れて山に入ったところ、17,18歳程度の女性が関太夫を指差して笑っていた。次第に笑い声が高くなり、周りの石、植物、水、風までもが大笑いしているように笑い声が轟いた。関太夫たちは慌てて逃げ帰った。家来たちは麓で気絶したものの、関太夫はどうにか無事帰還した。関太夫が死ぬまで、あの笑い声は耳に残っていたという[1][2]

なお、文化時代の土佐の地誌『南路志』に、これとまったく同じ物語があるが、題は「笑い男(わらいおとこ)」であり、登場する妖怪は女性ではなく、十代半ばの少年とされている。逃げ帰った関太夫が後にその笑い声を思い出すときには、耳に鉄砲を撃ち込まれたような音がしたという[3]

「笑い女」の名の妖怪は、同じ高知の幡多郡宿毛市土佐郡土佐山村にも伝わっており、夜の深山で姿を見せずに笑い声をあげるものといわれる[4]芸西村白髪では、タカサデ山という場所に2人の老婆が山菜を採りに行くと、若い女が現れて笑い出し、老婆たちもつられて笑い、女がいなくなった後も笑いこけ、その挙句に何日も熱病に侵されたという[5]香我美町(現・香南市)では、笑い女を退治した際に用いたという剣が、土居城の跡地のツルギ様という祠に祀られている[5]。土佐山村(現・高知市)では、笑い女は麦の熟す時分に現れるという[6]。西土佐山村では、山女郎が人前に現れて大笑いし、一緒に笑うと食われるといわれる[7]タヌキが笑い女の正体とされることもある[8]

類話 編集

鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に「倩兮女(けらけらおんな)」という妖怪があるが、笑い声が恐怖を与えるという設定で描かれた妖怪であり、笑い男や笑い女と同種のものと解釈されている[9]

脚注 編集

  1. ^ a b 常光他 2003, pp. 16–17
  2. ^ 常光他 2003, p. 136.
  3. ^ 広江清編著 著「近世土佐妖怪資料」、谷川健一 編『日本民俗文化資料集成』 第8巻、三一書房、1988年(原著1969年)、314頁。ISBN 978-4-380-88527-3 
  4. ^ 桂井和雄「土佐の山村の妖物と怪異」『旅と伝説』15巻6号、三元社、1942年6月、24頁、NCID AN00139777 
  5. ^ a b 常光他 2003, p. 56
  6. ^ 桂井和雄『俗信の民俗』岩崎美術社〈民俗民芸双書〉、1985年(原著1973年)、264頁。ISBN 978-4-7534-0079-9 
  7. ^ 石井 1993, pp. 161–162.
  8. ^ 石井 1993, pp. 60–61.
  9. ^ 宮本幸枝・熊谷あづさ『日本の妖怪の謎と不思議』学習研究社〈GAKKEN MOOK〉、2007年、89頁。ISBN 978-4-05-604760-8 

参考文献 編集