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3代目笑福亭 仁鶴(しょうふくてい にかく、1937年昭和12年〉1月28日[1][2] - )は、日本の上方落語を演じる落語家である。本名、岡本 武士(おかもと たけし)[1][3][4]

3代目 笑福亭 仁鶴しょうふくてい にかく
3代目 笑福亭 仁鶴
五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。
本名 岡本 武士
生年月日 (1937-01-28) 1937年1月28日(82歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市生野区
師匠 6代目笑福亭松鶴
出囃子 猩々くずし[1]
だんじり
活動期間 1962年 -
活動内容 上方落語
配偶者 岡本隆子
所属 よしもとクリエイティブ・エージェンシー[2]
受賞歴
第3回上方お笑い大賞大賞(1974年)など
備考
上方落語協会相談役

出囃子は「猩々くずし[1]」または「だんじり」。深夜ラジオ番組の出演で当時の若者層から絶大な人気を博し、番組中に発した「どんなんかな~」が当たりギャグとなった[5]

所属事務所吉本興業よしもとクリエイティブ・エージェンシー(1964年 - )[1][2]上方落語協会会員、吉本興業特別顧問。身長165cm、体重58kg[2]血液型はO型[1]。妻は吉本新喜劇に在籍した永隆子大阪府豊中市在住。

目次

来歴編集

大阪府大阪市生野区出身[6]。生家は鉄工所を経営していた[5][6]大阪市立田島中学校から大阪市立生野工業高等学校の定時制に進む[5][6][注釈 1]。その時期に古道具屋で購入した初代桂春団治SPレコードを聴き、落語に関心を抱く[6][7][注釈 2]。SPレコードや書籍などを収集して落語をおぼえた[7]

やがて人に聞かせる欲求が芽生え、朝日放送ラジオ東西お笑い他流試合』『素人演芸会』『素人落語ノド自慢』、新日本放送素人名人会』などの素人参加番組に出演する[6][7]。その演技は『東西お笑い他流試合』のプロデューサーだった狛林利男から、欠員者の代替として出演を依頼されるほどになる[5][6][7]。それらの番組のやはり常連出場者だった前田達(のちの2代目桂枝雀)ら演芸好きの仲間と天狗連を結成し、自前の即席落語会や慰問上演などをおこなった[8][7]。前田が3代目桂米朝に弟子入りした(当時は桂小米)翌年の1962年3月中旬、素人参加番組の審査員だった6代目笑福亭松鶴に入門を懇願、4月1日に正式に弟子入りした[9][10]。松鶴を選んだ理由の一つは、松鶴に初代春団治の雰囲気を感じたことにあった[9][10]。松鶴はのちに、即刻入門を許可した弟子は初めてだったと述べている[9]。鉄工所は兄が継いでいたため親の反対はなく、実家の手伝いをすることのみを条件とされた(松鶴は弟子を同居させず「通い弟子」としたので、帰宅して仕事ができた)[10]

「仁鶴」という芸名は、入門からしばらく経ってから決まった[注釈 3]。この由来について、松鶴がタクシーで角を曲がる指示の言葉(「二番目の角」)から発案したという記述が書籍にも記載されているが[9]、仁鶴自身は2013年の聞き書きで「あれは冗談」と述べている[10]

1962年12月の「三越落語会」が初舞台となる[11][12]。入門翌年の1963年から吉本興業に所属した[12][13]。これは、当時数少ない吉本所属の落語家だった3代目林家染丸が、演芸場の増加(なんば花月京都花月がこの前後にオープン)に対応して落語家を増やしたい意向から勧誘したとされる[12][13]。染丸は松鶴に持ちかけ、松鶴の問いかけに仁鶴が同意した[13]。仁鶴に吉本を薦めた理由は、染丸、松鶴ともに「吉本向きだから」だったという[14]。この結果、師匠の松鶴(松竹芸能所属)とは違う事務所に籍を置くことになる[12]

5月に京都花月で吉本での初舞台を踏み、ネタは「くっしゃみ講釈」であった[12][13][12]。この初日の高座は受けなかったため、翌日からは書きためていた小咄を話し、客をつかんでいった[13]

9月より、2代目桂春蝶の主導で千日前にある自安寺を会場として始まった「上方ばなし若手会」に参加する[15]。最初の参加メンバーである春蝶・仁鶴・小米・桂朝丸(のちの2代目桂ざこば)・笑福亭光鶴(のちの5代目笑福亭枝鶴)は「若手五人会」を称した[15]

1967年4月、吉本新喜劇女優永隆子と結婚する。

1960年代後半以降、落語ブームも相まって、月亭可朝桂三枝(現:6代桂文枝)とともに、吉本興業の顔として花月劇場チェーンへの出演のかたわら、テレビ、ラジオ、映画、レコードに多数出演。お笑いタレントの宝庫としての吉本の基礎を築いた。戦後の吉本に対する仁鶴の功績について、漫才作家足立克己は「今日の吉本の基は仁鶴が作った」「吉本中興の祖」と評した[要出典]。吉本の総帥と呼ばれた林正之助でさえ、仁鶴には頭が上がらなかったという(初代桂春団治などの大物芸人ですら呼び捨てにしていた正之助が、仁鶴だけは「さん」付けで呼んでいたと後輩の前田五郎は著書に記している[16])。正之助は生前、「仁鶴の面倒は一生吉本で見るようにせい」と言い残している。

ラジオの深夜放送『オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!』(ラジオ大阪、火曜日担当)や『ABCヤングリクエスト』(朝日放送ラジオ)内の内包番組「仁鶴・頭のマッサージ」で若者層から絶大な支持を得た。後に仁鶴を代表するギャグとなった「どんなんかな~」は仁鶴がはがきを紹介する際「どんなはがきでしょうか」という意味で絶叫していたものであった[5]。また同番組では、架空の「掃除のおばちゃん」が放送中にスタジオブースに入って来て仁鶴のまわりをうろつく、という設定をたびたび演じて評判を取り、のちに自身の歌『おばちゃんのブルース』の元になった[5]

やがて仁鶴は、『ヤングおー!おー!』(MBSテレビ)を通じて全国区のタレントとなった。『ヤングおー!おー!』では、放送開始直後に「ごきげんよう! ごきげんよう!」とがなり立て、裏番組の『てなもんや一本槍』(朝日放送テレビ)にチャンネルを変えさせないポジションを担った[17]。仁鶴は「視聴率を5%上げる男」との異名を取り、当時のテレビ関係者はキャスティングするため奔走したという。1972年には『NHK紅白歌合戦』に応援ゲストとして出演している。1973年に放映された「ボンカレー」(大塚食品)のCM時代劇子連れ狼』のパロディとして拝一刀に扮し、「3分間待つのだぞ[3]」のフレーズで一世を風靡した。この時期、仁鶴の写真がプリントされた大塚食品の自動販売機の筐体が多数製作・設置された[18]

落語会や寄席でも人気が上昇し、めくりが仁鶴の名に変わる、出てきた仁鶴が一声出す、といった落語本番よりも前の段階で客席が沸き笑い声が起きるほどであった[19]。そのため、当時漫談滝あきらからは「笑いの爆弾男」とのあだ名を付けられる。タレントとして有名になっても吉本の劇場で高座に上がることは欠かさず、当時のなんば花月(定員900人)に一日8500人が押し寄せた[20]

「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせぇ」のフレーズで有名な法律バラエティ番組の元祖『バラエティー生活笑百科』(NHK大阪[3][4]や、『大阪ほんわかテレビ[4]ytv)などのレギュラー番組を長らく受け持つ。

吉本のみならず上方落語界の重鎮として、独演会や一門会などの落語会で活躍する一方、吉本の本拠地・なんばグランド花月(NGK)にも月1回のペースで出演している。

2005年2月1日には吉本興業特別顧問に就任。タレント活動を続けながらご意見番を担うことになった。これは仁鶴の常日頃の人柄、吉本興業に対する過去からの貢献によるものである。

2017年5月に『バラエティー生活笑百科』の収録を放送開始32年目にして初めて欠席、同年6月2日に妻である隆子が死去。服喪期間を経て一時的に収録参加や高座出演に復帰していたが、妻を亡くした心労もあって夏に体調を崩したこともあり休演が続くようになった[21]2018年9月に大阪市内で行われた師匠の6代目松鶴の三十三回忌法要に姿を見せ、報道陣からの取材に応じた[22]。その後、同年9月に天満天神繁昌亭で行われた「六代目笑福亭松鶴生誕百年祭」への出演や京都・西本願寺で行われた「京都国際映画祭2018」のオープニングセレモニーへの出席[23]など、体調面を考慮し散発的な仕事は熟しているが、レギュラー番組への出演は見合わせている状態である。

受賞歴編集

[2][4]

弟子編集

いずれも吉本興業所属。兄弟弟子、孫弟子などについては「松鶴一門」のページを参照のこと。

廃業した元弟子
  • 笑福亭仁燕
  • 笑福亭仁徳
  • 笑福亭仁雀(1972年7月入門、1988年廃業)
  • 笑福亭仁碌
  • 笑福亭仁助

人物・エピソード編集

芸風・評価編集

天狗連で売り出した当時は、初代桂春團治ばりのあくの強いスピーディーな語り口であったが、6代目笑福亭松鶴に入門直後は、「教えてもうた通りきっちりとやらなあかん時期」だったため、「地味で硬い語り口」に転じた[5]。そこで基礎から落語を学び直し、やがて本来の「機関銃のような[5]」スピードと強さを取り戻していった。1970年代後半に喉を痛めてからは芸風を変更し、的確な描写力を持ってじっくりと聴かせる正統派の落語家となった。そのことを指摘された折には「声が出ェへんさかいに仕方なしにこないしてんねがな」という反応も示している[24]

バリトンの声調を持つ特徴的な声色と口調は、シンデレラエキスプレス松井成行やモンスターエンジン大林健二、霜降り明星せいやなど、多くの後輩芸人にものまねされている。

持ちネタ編集

その他編集

  • 尊敬する人物として、映画やドラマで何度か共演した森繁久彌の名を度々挙げており、自宅には森繁から直接貰った書が飾られている。ちなみに仁鶴が売れっ子だった頃の吉本の社長八田竹男は森繁とは旧制北野中学校時代からの同級生。
  • 1994年1月3日には、豊中市にある自宅が半焼した。その際、長年かけて収集してきた落語関連の資料も被災している。
  • 上方落語界の重鎮でありながらもあまり独演会を開催していなかったが、2009年11月3日には5度目の独演会をなんばグランド花月で開催している。

出演作品編集

テレビ編集

現在出演中のバラエティ番組編集

過去に出演したバラエティ番組編集

過去に出演したテレビドラマ番組編集

ラジオ編集

現在編集

※20年続いた長寿番組として2006年3月に一旦放送を終了したが、2014年4月に再開された。

過去編集

映画編集

劇場アニメ編集

イメージポスター編集

CM編集

レコード・CD・DVD編集

シングルレコード

  • どんなんかなァ/おばちゃんのブルース(1969年12月)
  • 大発見やァ!/仔犬のラメント(1970年3月)
  • 大阪は第二の故郷/へちゃむくれ讃歌(1970年11月)
  • 男・赤壁周庵先生/夜店のオペレッタ(1971年11月)
  • 花の定期便/どうせ人生まっ裸(1972年4月)
  • 仁鶴の娘江州音頭/仁鶴の河内アホダラ音頭(1973年7月)

LPレコード

  • 仁鶴古典独演会(1979年、LPレコード)
  • 続・仁鶴古典独演会(LPレコード)

CD

書籍編集

笑福亭仁鶴を演じた俳優編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 生野工業高校の最終的な学歴について、読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』(1999年) は「卒業」としているのに対し[5]、戸田学の『上方落語の戦後史』(2014年)は「二年の時に体を壊し」中途退学したとしている[6]
  2. ^ 時期について、戸田(2014)は「十七、八歳の時[6]」、小佐田(編)(2013)は「一九五三年か四年[7]」としている。
  3. ^ 時期について、戸田(2014)は「入門半年ほど[9]」、小佐田(編)(2013)は「三か月ほどたったある日[10]」としている。
  4. ^ 弟弟子の笑福亭鶴瓶との対談[要出典]で仁鶴本人が証言した。

出典編集

  1. ^ a b c d e f 上方落語会名鑑:笑福亭仁鶴 - 上方落語協会公式プロフィール
  2. ^ a b c d e 吉本興業 芸人プロフィール:笑福亭仁鶴 - 吉本興業公式プロフィール
  3. ^ a b c d e f g h i j 笑福亭仁鶴(3世) コトバンク - 典拠は『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
  4. ^ a b c d e f g h i j k 笑福亭仁鶴 コトバンク - 典拠は講談社『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『タレントデータバンク
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.268-273「仁鶴時代の幕開け」
  6. ^ a b c d e f g h 戸田、2014年、pp.239 - 240
  7. ^ a b c d e f 小佐田(編)、2013年、pp.233 - 234
  8. ^ 戸田、2013年、p.50
  9. ^ a b c d e 戸田、2014年、pp.243 - 245
  10. ^ a b c d e 小佐田(編)、2013年、pp.237 - 240
  11. ^ 戸田、2014年、p.246
  12. ^ a b c d e f 小佐田(編)、2013年、pp.246 - 248
  13. ^ a b c d e 戸田、2014年、pp.249 - 250
  14. ^ 笑福亭仁鶴『仁鶴湯』主婦と生活社、2005年[要ページ番号]
  15. ^ a b 戸田、2014年、pp.254 - 257
  16. ^ 前田五郎『芸能界み~んなホントのことでっせ』(日本文芸社刊、1993年)P51、P134~P135。前田は同書のP134で「吉本の内部にいる自分の目から見る限り、吉本の芸人のトップは仁鶴さんに尽きる」とも述べている。
  17. ^ 『上方放送お笑い史』、p.279
  18. ^ logc_nt「日本で唯一の「ボンカレーライス自動販売機」がまだ稼働しているところを見てきたGIGAZINE、2016年3月26日
  19. ^ 戸田、2013年、p.55
  20. ^ 戸田、2013年、p.51
  21. ^ 弟子の急死でも現れず、笑福亭仁鶴の眼光いつ戻る… - ナニワのベテラン走る〜ミナミヘキタヘ〜 - 日刊スポーツ 2017年12月24日
  22. ^ 笑福亭仁鶴だ!六代目笑福亭松鶴さん法要に参列、昨年7月以来の姿 - SANSPO.COM 2018年9月6日
  23. ^ 【京都国際映画祭】笑福亭仁鶴、オープニングセレモニーでボケる 少しやせるもはっきりあいさつ - ORICON NEWS 2018年10月12日
  24. ^ 戸田、2013年、p.67

参考文献編集

  • 難波利三 『小説吉本興業』
  • 戸田学『随筆 上方落語四天王の継承者たち』岩波書店、2013年。ISBN 978-4-00-025901-9
  • 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年7月。
  • 笑福亭仁鶴桂南光桂文珍桂ざこば桂福團治笑福亭鶴瓶『青春の上方落語』小佐田定雄NHK出版〈NHK出版新書〉、2013年12月。

関連項目編集

外部リンク編集