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笠田村(かさだむら)は、かつて香川県にあった

笠田村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
本山村上高野村笠田村
比地大村桑山村豊中村
現在の自治体 三豊市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 香川県
三豊郡
隣接自治体 比地大村、勝間村二ノ宮村
上高野村、本山村、桑山村
笠田村役場
所在地 香川県三豊郡笠田村大字笠岡2194番地
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概要編集

三豊郡の中央に位し讃予線上高瀬駅より西南約28町、本山駅より東約25町、付近に観音寺丸亀善通寺等の小都市がある[1]。これ等が本村の取引都市である[1]

1932年末の戸口は人口2360人(男1161、女1199)。戸数は465戸(農業390、工業10、商業22、交通業2、公務及び自由業29、その他3)[1]

沿革編集

  • 1890年明治23年)2月15日 - 町村制施行により三野郡笠岡村、竹田村が合併し、笠田村が発足。
  • 1899年(明治32年)3月16日 - 郡の統合により三豊郡に所属。
  • 1955年昭和30年)3月31日 - 三豊郡本山村、上高野村、比地大村、桑山村と合併し豊中村を新設して消滅。

経済編集

産業編集

商工業

商工業者は日用雑貨品店、自転車屋、菓子店、飲食店宿屋、仲買店、製造業者、鉄工所等で、いずれも農業を兼ねる者が多い[1]

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば笠田村の篤農家は、「大西盛太、鳥取柔三郎、鳥取治郎八」などである[2]。鳥取為三郎の父・鳥取勇治郎は、村民が旱魃に苦しむのを見て池を修築した[3]

出身人物編集

鳥取為三郎の長男[4]。鳥取滋治郎の祖父。讃岐農工銀行監査役。農業を営み香川県多額納税者である[4]
1888年[5]。鳥取治郎八の二男[4]。鳥取滋治郎の父[5]。仁尾塩田、讃岐煉瓦各会社の取締役[5]
1924年生、2013年没。鳥取為三郎の二男[5]。長女の久子は高円宮憲仁親王結婚して憲仁親王妃久子となった。
1886年[6]。鳥取柔三郎の長男[6]

脚注編集

  1. ^ a b c d 『産業組合調査資料 第54輯』69-70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月31日閲覧。
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月31日閲覧。
  3. ^ 『讃岐人名辞書』ト之部162-163頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月22日閲覧。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第8版』ト65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月31日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』香川5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月31日閲覧。
  6. ^ a b c 『人事興信録 第13版 下』ト71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月22日閲覧。

参考文献編集

  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 産業組合中央会編『産業組合調査資料 第54輯』産業組合中央会、1927-1935年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 梶原竹軒監修『讃岐人名辞書』高松製版印刷所、1933年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。