第一利根川船(だいいちとねがわせん)[3]は、日本海軍の運輸船[2]。 艦名は利根川から採る[2]

第一利根川船
基本情報
建造所 横須賀造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送船[2]
艦歴
計画 明治3年工部省計画[3]
起工 明治3年12月[3](1871年1月から2月)
進水 明治5年3月[3][4](1872年4月頃)
竣工 1873年12月23日[5]
除籍 1886年12月11日[3]
その後 売却[3]
要目
排水量 119英トン[6]
または170英トン[7]
トン数 68トン[6]
長さ 40m[6](キールの長さ[8])
5.600m[6](最大幅[8])
深さ 1.88m[6]
吃水 船首0.75m、船尾0.57m[6]
ボイラー 汽車 1基[9]
主機 2気筒斜置機械 1基[10]
推進 外輪[11][12]
出力 95IHP[6](75名馬力[10])
または30名馬力[13]
帆装 無し[11]
速力 7ノット[10]
燃料 炭団:22,982[14](13.6英トン)
航続距離 燃料消費:6,000斤/日[14](3.55英トン/日)
乗員 明治5年(1872年):15名[4]
1874年8月総員:10人[15]
1874年9月総員:上士官1人、下士2人、卒8人、計11人[16]
その他 船材:[6]
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概要 編集

明治3年工部省計画により横須賀造船所で建造された[3] 木造外輪船[12]。 元々は、利根川での使用を想定して建造された[17]。 竣工時の船名は利根川丸[8] (第一利根川丸[4])。 竣工後は兵学寮の稽古船として使用され[8]1875年第一利根丸と改名した[3]。 その後は横須賀造船所の所属となり[7]1886年に除籍、売却された[3]

艦型 編集

煙突1本の外輪船で、帆やマストは無い[11]。 主機は斜置2気筒機械で、気筒の直径は53cm、行程は485mm[7]。 ボイラーは汽車1基を装備し、蒸気圧力は最大5kg/cm2の記録があるという[7]

要目表の値は『横須賀海軍船廠史』[6]、機関は『帝国海軍機関史』[7]等によった。 その他の文献による要目は以下の通り。

  • 『記録材料・海軍省報告書』:長さ1317(39.91m)、幅18尺44(5.59m)、深さ6尺9寸48(2.11m)、吃水3尺8(1.15m)、排水量170英トン、トン数64トン、75名馬力[4]
  • 『帝国海軍機関史』:長さ134 ftin (41.02 m)、幅18 ft 4 in (5.59 m)、排水量170英トン(『廃艦機関沿革』による)[7]
  • 『近世帝国海軍史要』:排水量170英トン[18]
  • 『日本近世造船史 明治時代』:トン数170トン、長さ134 ft (40.84 m)、幅18 ft (5.49 m)、75馬力[12]

艦歴 編集

1873年(明治6年)12月23日に竣工し[5][注釈 1]、 12月24日に兵学寮所轄となり[19]、 12月28日に引き渡された[8]。 竣工時は利根川丸と呼称された[8]。 『記録材料・海軍省報告書』によると第一利根川丸となっている[4]

1874年(明治7年)2月には艤装の変更が行われた[20]。 以後は兵学寮と横須賀分校の往復などに使用された[21][22]。 9月頃に修理を行い、10月から横須賀分校附属稽古船として使用され[23]、 12月18日に練習艦(練習船[24])に指定された[25]

1875年(明治8年)10月27日、兵学寮所轄の第一利根川(船)は、第一利根丸 (第一利根川丸[26]) と改称した[7][27]。 。

1878年(明治11年)7月17日、第一利根丸兵学校から横須賀造船所に所轄を変更[28][29]、 7月20日に横須賀造船所へ引き渡された[30]

1879年(明治12年)9月29日から1880年(明治13年)2月27日までは横須賀造船所で修理を行った[31]

横須賀造船所で使用していた本船は元々利根川の航行を目的としていて吃水が浅く、曳船としては不便だった[32]。 また第一横須賀丸も艦齢13年以上になり修理に多額の費用が掛かることが予想された[32]。 このために横須賀造船所はこの2隻を売却し、その費用で新しい小蒸気船1隻を建造する計画を建てた[32]1880年(明治13年)8月9日に横須賀造船所から2隻の売却が上申され、11月4日認許された[32]

1882年(明治15年) 2月6日に横須賀造船所は第一利根丸東京府の川路寛堂に払い下げすることを許可したが、代金100,000円の支払いが無いため、3月1日横須賀造船所に船を戻した[33]

1883年(明治16年) 10月18日、第一利根丸を川路寛堂に7,250円で売却することを許可し、証拠金として400円が上納された[34]。 しかしその後は前納金1,300円の納付のみで督促にも支払いが無く、1885年(明治18年)7月31日に契約を破棄、前納金を没収した[35]

1886年(明治19年) 9月3日に東京府の渡邊伊兵衛から第一利根丸の払い下げの出願が出され、12月1日に2,800円を完納[36]、 12月11日除籍[3]、 同日に引き渡された[36]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ #近世帝国海軍史要(1974)p.884では明治6年1月23日竣工としているが間違い。

出典 編集

  1. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像21-23、明治7年事1套坤大日記第288号、別冊
  2. ^ a b c #浅井(1928)pp.33-34、利根 とね Tone.
  3. ^ a b c d e f g h i j 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.32
  4. ^ a b c d e #M1-M9海軍省報告書画像35-36、明治五年壬申艦船総数表
  5. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻p.250
  6. ^ a b c d e f g h i #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻pp.250-251
  7. ^ a b c d e f g #機関史(1975)上巻pp.476-477
  8. ^ a b c d e f #M6公文類纂16/兵学寮届 利根川丸引渡画像2
  9. ^ #機関史(1975)別冊No.3、我海軍機関発達大体年表
  10. ^ a b c #機関史(1975)別冊表1『「明治維新以前の機関」関係表』
  11. ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻第6図、利根川丸(縮尺1/200)
  12. ^ a b c #造船史明治(1973)p.499
  13. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第1巻pp.210-211
  14. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像108-109、艦船表(明治9年6月30日現在)
  15. ^ #M7公文類纂13/管轄(1)画像43-46、明治7年事套3第301号、艦船の部
  16. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像35-36、明治7年事1套坤大日記第288号、各艦乗組現員
  17. ^ #M13公文類纂10/造船所伺 第1利根丸横須賀丸売却及代船新造致度画像1
  18. ^ #近世帝国海軍史要(1974)p.884、第一利根丸
  19. ^ #M1-M9海軍省報告書画像45-47、明治6年12月。
  20. ^ #M7公文類纂16/修覆(1)画像13、15
  21. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(2)画像70
  22. ^ #M7公文類纂15/航泊出入(4)画像35
  23. ^ #M7公文類纂13/名義並番号(2)画像9
  24. ^ #M1-M9海軍省報告書画像59-60、明治7年12月。
  25. ^ #M7公文類纂13/管轄(3)画像9「利根川船 自今練習艦ニ被定候事 但乗組人員給棒之義練習艦同様被下候事 十二月十八日 海軍省」
  26. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.29
  27. ^ #M1-M9海軍省報告書画像68-70、明治8年10月。
  28. ^ #M11.7-M12.6海軍省報告書画像23、所轄並在任
  29. ^ #M11布達/7月画像16、明治11年7月17日丙第105号
  30. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.113
  31. ^ #M12.7-M13.6海軍省報告書画像20-21、艦船修復
  32. ^ a b c d #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.168
  33. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.194
  34. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.261
  35. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.309
  36. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.361

参考文献 編集

  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 国立公文書館
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。  明治元年から明治9年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091500。  明治11年7月から明治12年6月。
    • 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062091700。  明治12年7月から明治13年6月。
      防衛省防衛研究所
    • 『公文類纂 明治6年 巻16 本省公文 艦船部2止/諸届留 兵学寮届 利根川丸生徒稽古用として主船寮へ引渡方』。Ref.C09111611300。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(1)』。Ref.C09112101900。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(2)』。Ref.C09112102000。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(3)』。Ref.C09112102100。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/名義並番号(2)』。Ref.C09112102300。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻15 本省公文 艦船部3/航泊出入(2)』。Ref.C09112104400。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻15 本省公文 艦船部3/航泊出入(4)』。Ref.C09112104600。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻16 本省公文 艦船部4止/修覆(1)』。Ref.C09112105300。 
    • 『公文類纂 明治13年 後編 巻10 本省公文 艦船部2/往入2257 造船所伺 第1利根丸外1艘売却及代船新造致度』。Ref.C09114603800。 
    • 『明治11年 海軍省布達全書/7月』。Ref.C12070004300。 
  • 浅井将秀 編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍有終会/編『近世帝国海軍史要(増補)』 明治百年史叢書 第227巻、原書房、1974年4月(原著1938年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 造船協会 編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。 

関連項目 編集