第一号型水雷艇

日本の三等水雷艇の艦級
第一号型水雷艇
第1号水雷艇
艦級概観
艦種 水雷艇
艦名
前級 -
次級 小鷹
第五号型水雷艇
要目(竣工時)
排水量 常備:40トン
全長 垂線間長:29.41m (96ft 6in)
全幅 3.81m (12ft 6in)[1]
吃水 0.94m (3ft 1in)[2]
機関 汽車缶1基
直立式2気筒2段膨張レシプロ1基
1軸、430馬力(計画)、280馬力(公試)[3]
速力 17ノット(計画)、14.38ノット(公試)[3]
航続距離 12ノットで1,000海里
燃料 石炭:3トン
乗員
兵装 ノルデンフェルト式25mm4連装機砲1基[4]
外装水雷1基(1885年に36cm単装魚雷発射管1基に交換)
同型艦 4隻

第一号型水雷艇(だい1ごうがたすいらいてい)は日本海軍水雷艇。同型艇4隻。日本海軍水雷艇の文字通りの第1号である。

概要 編集

1877年明治10年)頃の日本はまだ新興の弱小海軍でしかなく、当時の大国の艦隊に対抗するために水雷艇を導入、1880年(明治13年)に第1号をヤーロー社に発注した。これはソーニクロフト社がノルウェー海軍の水雷艇「ラプス(Raps)」を完成させたのが1873年(明治6年)であり、イギリス最初の水雷艇「ライトニング(Lightning)」建造が1877年(明治10年)で、それからわずか3年、世界的に見ても早い導入だった。続いて2,3,4号の3隻もヤーロー社に注文、組立は4隻とも横須賀造船所で行い第1号は1881年(明治14年)に、残りの3隻はやや遅れて1884年(明治17年)に竣工した。

速力は17ノットの計画であったが14ノット強しか出ず、また完成した時には諸外国の水雷艇は20ノットに達しようとしていた。

兵装は外装水雷を艦首に装備していた。日本海軍の魚雷導入は1882年(明治15年)にオーストリアシュワルツコッフ社に朱式魚雷50本を初めて発注、第1号型には1885年(明治18年)に旋回式魚雷発射管が装備された。

1894年(明治27年)の日清戦争では既に2線級であったため内地の警備に当たり、1899年(明治32年)に4隻とも除籍された。

同型艇 編集

全てヤーロー社建造、横須賀造船所組み立て。

  • 第1号 : 1881年(明治14年)5月2日竣工。1899年(明治32年)5月31日除籍。
  • 第2号 : 1884年(明治17年)2月26日竣工。1899年(明治32年)5月31日除籍。
  • 第3号 : 1884年(明治17年)10月10日竣工。1899年(明治32年)5月31日除籍。
  • 第4号 : 1884年(明治17年)10月10日竣工。1899年(明治32年)5月31日除籍。

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ 『駆逐艦 その技術的回顧』p28では幅3.80mとなっている。
  2. ^ 『駆逐艦 その技術的回顧』p28では吃水1.83mとなっているが40トンの船で吃水1.83mは考えにくいので何かの間違いと思われる。
  3. ^ a b 公試成績は『世界の艦船増刊第47集』による。
  4. ^ 『世界の艦船増刊第47集』による。『日本駆逐艦物語』によると37mm機砲1挺。換装した可能性有り。

参考文献 編集

  • 中川努「日本海軍特務艦船史」
世界の艦船 増刊第47集』海人社、1997年3月号増刊、第522集。
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
  • 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9