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株式会社第一銀行(だいいちぎんこう)は、かつて存在した日本の銀行である。統一金融機関コードは、0001(第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)。

株式会社第一銀行
第一銀行本店(1930年、西村好時設計)
第一銀行本店
(1930年、西村好時設計)
種類 株式会社
市場情報
京証 8316
1949年12月 - 1971年10月1日
本社所在地 日本の旗 日本
100
東京都千代田区丸の内一丁目6番1号
設立 1873年7月20日
業種 銀行業
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第一銀行のデータ
統一金融機関コード 0001
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前身の第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)は、1873年(明治6年)に渋沢栄一により創設された日本最古の銀行。民間資本による民間経営の株式会社であるが、国立銀行条例により発券機能等を有していた。国立銀行条例による営業免許期間終了に伴い、1896年(明治29年)に一般銀行に改組し第一銀行となる。1943年(昭和18年)太平洋戦争戦時下の国策により三井銀行と合併し帝国銀行となるが、戦後の1948年(昭和23年)には再度分割し第一銀行として再建。1971年(昭和46年)に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行となるまで存続。第一勧業銀行は現在のみずほ銀行に繋がる。

日本最初の株式会社でもあり、東京株式取引所創設時より同市場に上場、戦後も東京証券取引所に上場していた。

目次

概説編集

明治政府は殖産興業政策の遂行、健全な通貨制度の確立のために近代銀行制度の確立を急務と考え国立銀行条例を制定。その最初の模範となる銀行としての第一国立銀行の設立を積極的に勧奨した。銀行創設にあたっては合本主義(株式会社制度)の考え方により、広く民間資金を集める事を志向し、旧幕時代から両替商の重鎮として力があった三井組小野組の大口出資と協力を得て誕生した[1]。資本金250万円のうち、三井組、小野組が各100万円を拠出した。日本最初の株式会社である。三井組、小野組それぞれから頭取を選任する一方で、その上に経営の最高責任者である総監役を置いた。総監役は政府にあって国立銀行条例の立案にあたり、三井組と小野組を勧奨して設立を準備した渋沢栄一が官を辞して自ら就任した。

本店における創立総会は1873年(明治6年)6月11日、同年7月20日に本店と横浜、大阪、神戸の三支店で営業開始、同年12月には行章として赤い二重星(ダブルスター)を大蔵省に届け出た。開業翌年の1874年(明治7年)11月に小野組が破綻し、小野組関連貸出等が回収困難となり経営危機を招いたが、小野組保有の株式100万円の資本金を減資し、総監役を廃止し渋沢栄一が単独で頭取となる新体制を敷き危機を回避した[2]

1884年には李氏朝鮮(後の大韓帝国)と契約して、関税取扱業務を代行し、後に民間銀行でありながら、同国の中央銀行の業務を代行した。1896年に普通銀行の第一銀行に改組。1943年三井銀行と合併して帝国銀行(通称・帝銀)となる。

1948年に帝銀が分割され、新たに第一銀行が発足したが、金融当局による出店規制に阻まれ中位行のまま推移し、1971年日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行(存続行は日本勧業銀行)となる。2002年(平成14年)、第一勧業銀行・富士銀行日本興業銀行分割合併により、みずほ銀行(存続行は第一勧業銀行)とみずほコーポレート銀行(存続行は富士銀行)となり、2013年(平成25年)7月1日、みずほコーポレート銀行がみずほ銀行を合併して逆に行名をみずほ銀行に改称した。

沿革編集

  • 1873年(明治6年)7月20日 - 株式会社第一国立銀行開業。資本金250万円。
  • 1875年(明治8年)8月 - 小野組の倒産により150万円に減資。総監役渋沢栄一が頭取に就任。
  • 1884年(明治17年) - 李氏朝鮮国政府と契約。釜山、仁川、元山での海関税を取り扱う。
  • 1896年(明治29年)9月 - 国立銀行条例による営業満了。株式会社第一銀行と改称。
  • 1902年(明治35年) - 韓国で第一銀行券を発行。韓国政府公認紙幣として流通する。
  • 1909年(明治42年)11月 - 株式会社韓国銀行(のちの株式会社朝鮮銀行)へ韓国中央銀行業務を譲渡。

本店建物編集

初代本店建物 1873年(明治6年)より編集

設計者は二代目清水喜助。場所は兜町の海運橋東詰。日本初となる銀行建築を清水組(現清水建設)が請け負い、二代清水喜助が、外国人の手を借りず、設計施工すべてを自分たちで手掛ける。木骨石造、ベランダ、日本屋根、塔を組み合わせた和洋折衷の凝洋風建築[3]。当初発注者は三井組であり1872年(明治5年)6月の竣工時は海運橋三井組ハウスと呼ばれたが、9月には第一国立銀行が買受けて設立準備から使用を開始[4]

二代目本店建物 1902年(明治35年)より編集

設計者は辰野金吾、施工は清水組。初代建物と同所に建築。外壁は石造ながら鉄棒で補強し、床は耐火構造、シャッター、消火栓等、当時最新の防災設備を備える。関東大震災でも崩壊を免れた[5]

三代目本店建物 1930年(昭和5年)より編集

設計者は西村好時、施工は清水組。本店を兜町から丸の内に移転(二代目本店建物は兜町支店として利用)。西村好時は銀行建築のエキスパートとして知られ、清水組を経て第一銀行に移った[6]。ドリス式列柱を活かした歴史主義建築の大作[7]。日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行となった後も新銀行の初代本店となった。

歴代総監役・頭取編集

第一国立銀行編集

  • 総監役渋沢栄一・頭取三井八郎右衛門高福・頭取小野善助 1873年(明治6年)6月より 
  • 総監役渋沢栄一・頭取三井八郎右衛門高福 1874年(明治7年)11月より 
  • 頭取渋沢栄一 1875年(明治8年)8月より 

第一銀行編集

  • 渋沢栄一 1896年(明治29年)9月より
  • 佐々木勇之助 1916年(大正5年)7月より
  • 石井健吾 1931年(昭和6年)1月より
  • 明石照男 1935年(昭和10年)10月より 1943年(昭和18年)3月まで

(再建)第一銀行編集

  • 荻野正孝 1948年(昭和23年)10月より
  • 酒井杏之助 1951年(昭和26年)3月より
  • 井上薫 1962年(昭和37年)5月より
  • 長谷川重三郎 1966年(昭和41年)3月より
  • 井上薫 1969年(昭和44年)4月より 1971年(昭和46年)9月まで

出身者編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 本店は東京であり、現在の三菱UFJ銀行前身のひとつとは無関係。
  2. ^ 業務の一部は東京貯蓄銀行(現りそな)、日本昼夜銀行、昭和銀行に譲渡されたが後者2者については旧安田銀行に合併されたため、現在はみずほとなっている。
  3. ^ その他の譲渡先は三井銀行に6店舗、大和銀行に7店舗であった。
  4. ^ 現在のりそな銀行前身行のひとつとは無関係。

出典編集

  1. ^ 第一国立銀行の創立準備機関として三井組為替座内に三井小野組合銀行が置かれた 『稿本三井家資料 北家第八代高福』第三巻
  2. ^ 『第一銀行史』第一銀行 1957年 第二編第一章
  3. ^ 『銀行発祥の地兜町にて』 清和綜合建物 2012年
  4. ^ 『三井銀行五十年史』 三井銀行 1926年 p17,122、p22,125
  5. ^ 『銀行発祥の地兜町にて』 清和綜合建物 2012年
  6. ^ 『銀行発祥の地兜町にて』 清和綜合建物 2012年
  7. ^ 藤森照信 『日本の近代建築(下)』 岩波書店 1993年 p100

参考文献編集

  • 第一銀行八十年史編纂室『第一銀行史』第一銀行、1958年
  • 第一勧業銀行調査部『第一勧業銀行二十年史』第一勧業銀行、1992年
  • 高杉良 『新装版 大逆転!―小説三菱・第一銀行合併事件』 講談社文庫、2010年。ISBN 4062766329
  • 高杉良 『大合併―小説第一勧業銀行』 講談社文庫、1992年。ISBN 4061852345