第一艦隊 (日本海軍)
旧大日本帝国海軍の部隊の一つ
概要
編集1903年12月26日に常備艦隊を二分割して編制した。この時に分離した第二艦隊とともに常設艦隊となり、日露戦争で活躍した。それ以降、何度も第二艦隊とともに連合艦隊を編制している。
連合艦隊が常設されるようになってからも、連合艦隊司令部が長年第一艦隊(及び第一戦隊)を直率していたが、1941年の戦時編制発令時に多数の艦隊(第三~第六艦隊および第一・第十一航空艦隊)が編制されて連合艦隊の規模が拡大したため、第一艦隊司令部を分離させている。司令部分離後は、連合艦隊司令部が第一戦隊を、第一艦隊司令部が第二戦隊を直率する形となった。
太平洋戦争中は作戦行動に出撃する機会が少なく、特に戦艦で構成する第二戦隊は柱島に常時停泊しており「柱島艦隊」と揶揄された。ミッドウェー作戦で主力部隊として出動した後は、所属していた航空戦隊や水雷戦隊を正式に他の艦隊に移籍させ、瀬戸内海で訓練艦隊として扱われていた。1944年2月25日解散。所属艦艇は第二艦隊に編合された。
沿革
編集- 1903年12月28日、常備艦隊を分割して創設。
- 1904年8月10日、黄海海戦
- 1905年5月27日、日本海海戦
- 12月20日、連合艦隊解散。以後1922年まで連合艦隊は臨時編制となる。
- 1914年8月18日、第一次世界大戦に対応し、臨時編制に移行。以後敗戦まで臨時編制を維持。
- 1916年8月10日、潜水艦の艦隊運用開始。潜水艇で第4水雷戦隊を編制し、第一艦隊に配備。
- 1917年12月1日、3個特務艦隊派遣・シベリア出兵支援のため、第一戦隊(山城・扶桑)・第二戦隊(河内・摂津)の4隻体制に縮小。
- 1922年12月1日、連合艦隊常設化。第一艦隊司令部が連合艦隊司令部を兼任。
- 1929年11月30日、航空母艦の艦隊運用開始。第一航空戦隊を編制し、第一艦隊に配備。
- 1933年5月20日、連合艦隊と第一艦隊の主客逆転。連合艦隊司令部が第一艦隊司令部を兼任。
- 1937年10月以降:日中戦争(支那事変)対応のため、多数の戦隊を第三艦隊および支那方面艦隊に臨時派遣。
- 1940年11月15日、第六艦隊新設のため潜水戦隊を供出。
- 1941年4月10日、第一航空艦隊新設のため航空戦隊を供出。
- 1942年4月:ドーリットル空襲作戦部隊追撃のため出動。
- 6月:ミッドウェー作戦支援のため出動。
以後は戦隊単位で個別に行動。
編制
編集1904年1月27日、日露戦争開戦直前の編制
編集- 第1戦隊:三笠・朝日・富士・八島・敷島・初瀬
- 第3戦隊:千歳・高砂・笠置・吉野
- 付属通報艦:龍田
- 第1駆逐隊:白雲・朝潮・霞・暁
- 第2駆逐隊:雷・朧・電・曙
- 第3駆逐隊:薄雲・東雲・漣
- 第1艇隊:第六十九号・第六十七号・第六十八号・第七十号
- 第14艇隊:千鳥・隼・真鶴・鵲
1914年8月18日、臨時体制時の編制
編集1922年12月1日、連合艦隊常設時の編制
編集1929年4月1日、航空戦隊新設(常設)時の編制
編集1936年6月1日、第1戦隊分割・第3戦隊再編時の編制
編集1940年5月1日、第3水雷戦隊新設時の編制
編集1941年12月10日、太平洋戦争開戦時の編制
編集- 第2戦隊:伊勢・日向・扶桑・山城
- 第3戦隊:金剛・榛名・比叡・霧島
- 第6戦隊:青葉・衣笠・古鷹・加古
- 第9戦隊:北上・大井
- 第1水雷戦隊:阿武隈
- 第3水雷戦隊:川内
- 第3航空戦隊:鳳翔・瑞鳳
- 附属:神洋丸
1943年9月1日、第一次ベララベラ夜戦後の編制
編集歴代司令長官
編集- 東郷平八郎中将:1903年12月28日 -(※連合艦隊司令長官を兼任)
- 東郷平八郎大将:1905年6月14日 -(※連合艦隊司令長官が直率(実質的に東郷大将の続投))
- 片岡七郎中将:1905年12月20日 -
- 有馬新一中将:1906年11月22日 - 1908年5月26日
- 伊集院五郎中将:1908年5月26日 - 1909年12月1日(※1908年10月8日 - 11月19日、連合艦隊司令長官を兼任)
- 上村彦之丞中将:1909年12月1日 - 1911年12月1日
- 出羽重遠中将:1911年12月1日 - 1913年12月1日
- 加藤友三郎中将:1913年12月1日 - 1915年8月10日
- 藤井較一中将:1915年8月10日 - 1915年9月23日
- 吉松茂太郎中将:1915年9月23日 -(※1915年11月11日 - 30日、1916年9月1日 - 10月13日、1917年10月1日 - 20日、連合艦隊司令長官を兼任)
- 山下源太郎中将:1917年12月1日(※1918年9月1日 - 10月14日、1919年6月1日 - 10月27日、連合艦隊司令長官を兼任)
- 山屋他人大将:1919年12月1日 -(※1920年5月1日 - 転出日、連合艦隊司令長官を兼任)
- 栃内曽次郎大将:1920年8月24日 -(※1920年8月24日 - 10月30日、1921年5月1日 - 10月30日、連合艦隊司令長官を兼任)
- 竹下勇中将:1922年7月27日 - (※12月1日以降、第一艦隊司令長官は連合艦隊司令長官を常時兼任)
- 鈴木貫太郎大将:1924年1月27日 -
- 岡田啓介大将:1924年12月1日 -
- 加藤寛治中将:1926年12月10日 -
- 谷口尚真大将:1928年12月10日 -
- 山本英輔中将:1929年11月11日 -
- 小林躋造中将:1931年12月1日 -
- 小林躋造中将:1933年5月20日 -(※以降、1941年8月11日まで連合艦隊司令長官が直率)
- 末次信正中将:1933年11月15日 -
- 高橋三吉中将:1934年11月15日 -
- 米内光政中将:1936年12月1日 -
- 永野修身大将:1937年2月2日 -
- 吉田善吾中将:1937年12月1日 -
- 山本五十六中将:1939年8月30日 -
- 高須四郎中将:1941年8月11日 -
- 清水光美中将:1942年7月14日 -
- 南雲忠一中将:1943年10月20日 - 1944年2月25日解隊
歴代参謀長
編集- 島村速雄大佐:1903年12月28日 -(※連合艦隊参謀長を兼任)
- 加藤友三郎少将:1905年1月12日 -(※連合艦隊参謀長を兼任)
- 加藤友三郎少将:1905年6月14日 -(※連合艦隊参謀長が兼任(実質的に加藤少将の続投))
- 藤井較一少将:1905年12月20日 -
- 山下源太郎大佐:1906年11月22日 - 1908年12月10日(※1908年10月8日 - 11月19日、連合艦隊参謀長を兼任)
- 財部彪大佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
- 野間口兼雄少将:1909年12月1日 - 1911年3月11日
- 秋山真之大佐:1911年3月11日 - 1912年12月1日
- 竹下勇大佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 佐藤鉄太郎少将:1913年12月1日 - 1914年4月17日
- 山路一善大佐:1914年4月17日 -
- 山中柴吉少将:1914年12月1日 - 1915年12月13日(※1915年11月11日-30日、連合艦隊参謀長を兼任)
- 堀内三郎少将:1915年12月13日 - 1917年12月1日(※1916年9月1日-10月13日、1917年10月1日-20日、連合艦隊参謀長を兼任)
- 斎藤半六少将:1917年12月1日 -(※1918年9月1日-10月14日、連合艦隊参謀長を兼任)
- 舟越楫四郎少将:1918年12月1日 -(※1919年6月1日-10月27日、連合艦隊参謀長を兼任)
- 吉岡範策少将:1919年12月1日 -(※1920年5月1日-10月30日、1921年5月1日-10月30日、連合艦隊参謀長を兼任)
- 白根熊三少将:1921年12月1日 -(※1922年12月1日以降、第一艦隊参謀長は連合艦隊参謀長を常時兼任)
- 樺山可也少将:1923年12月1日 -
- 原敢二郎少将:1924年11月10日 - 1925年12月1日
- 大湊直太郎少将:1925年12月1日 -
- 高橋三吉少将:1926年11月1日 -
- 濱野英次郎少将:1927年12月1日 -
- 寺島健少将:1928年12月10日 - 1929年11月30日
- 塩沢幸一少将:1929年11月30日 -
- 嶋田繁太郎少将:1930年12月1日 -
- 吉田善吾少将:1931年12月1日 -
- 吉田善吾少将:1933年5月20日 -(※以降、1941年8月11日まで連合艦隊参謀長が兼任)
- 豊田副武中将:1933年9月15日 -
- 近藤信竹少将:1935年3月15日 -
- 野村直邦少将:1935年11月15日 -
- 岩下保太郎少将:1936年11月16日 -
- 小沢治三郎少将:1937年2月18日 -
- 高橋伊望少将:1937年11月15日 -
- 福留繁大佐:1939年11月5日 -
- 伊藤整一少将:1941年4月10日 -
- 小林謙五大佐:1941年8月11日 -
- 高柳儀八少将:1943年1月6日 - 1944年2月25日解隊
脚注
編集注釈
編集- ^ 7月5日に沈没しており、書類上の在籍
出典
編集参考文献
編集- 日本海軍人事手帳(?) - ウェイバックマシン(2006年5月6日アーカイブ分)