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漁船時代の第二十三日東丸
炎上する第二十三日東丸

第二十三日東丸(だいにじゅうさんにっとうまる)とは日本の漁船特設監視艇1941年(昭和16年)12月1日に特設監視艇として徴用され、第二十二戦隊(通称黒潮部隊)の第二監視艇隊に配備される。

日本海軍太平洋東方面の警戒を強化するため1941年(昭和16年)末から監視網の増設と強化を図り116隻の監視艇を第二十二戦隊に徴用配備し、第一、第二、第三監視艇隊を編成した。第二十三日東丸はこのとき徴用された漁船の一隻で、すくなくとも13ミリ機銃一丁を装備していたと考えられる。

目次

諸元編集

  • トン数:90t[1]

戦闘編集

1942年(昭和17年)4月18日に監視任務から北海道釧路へ帰還途中の第二十三日東丸は東京から700海里の地点においてドーリットル攻撃隊を輸送中の機動艦隊を発見する。第二十三日東丸は直ちに米機動艦隊発見を通報し、さらに偵察を続け、航空母艦の数などを打電する。

米機動艦隊司令官のハルゼー提督は第二十三日東丸の撃沈を命じ、軽巡洋艦ナッシュヴィルと艦載機からの砲爆撃が開始され、第二十三日東丸は機銃でこれに応戦、ナッシュビルへの体当たりを目指して突入を開始する。しかし、攻撃開始から30分後に命中弾を受け、第二十三日東丸は炎上の後に沈没。乗組員は米軍の救助を拒否して全員戦死した。戦死した乗組員は後に金鵄勲章を授与された。

  • 6時30分 - 「敵艦上機ラシキ機体三機発見」と打電。
  • 6時45分 - 「敵空母一隻ミユ」と打電。
  • 6時50分 - 「敵空母三隻ミユ」と打電。
  • 7時30分 - 「敵大部隊ミユ」の打電の後消息を絶つ。
  • 7時50分 - ナッシュビル砲撃開始。
  • 7時57分 - 艦載機からの爆撃が開始され、日東丸はナッシュビルへの突撃を開始。
  • 8時20分 - 第二十三日東丸は命中弾を受け炎上。
  • 8時27分 - 第二十三日東丸沈没、乗組員は米軍の救助を拒否して全員戦死。

艇長編集

  • 中村 兵曹長[1]

脚注編集

  1. ^ a b 高村暢児著『物語日本史』第10巻「日清日露戦争・太平洋戦争」、学習研究社(1967年)、250頁。

関連項目編集