第二次奴隷戦争: Seconda guerra servile)は、紀元前104年から紀元前100年にかけて共和政ローマ期にシチリアで起きた奴隷による大規模な反乱である。3度にわたって共和政ローマで起こった奴隷戦争の2度目の戦争である。

第二次奴隷戦争
シチリアの地図
戦争:第二次奴隷戦争
年月日紀元前104年 - 紀元前100年
場所シキリア
結果:ローマの勝利
交戦勢力
共和政ローマ シケリアの奴隷
指導者・指揮官
マニウス・アクィッリウス
ルキウス・リキニウス・ルクッルス英語版
サルウィウス英語版
アテニオンドイツ語版

経過 編集

ガリア・キサルピナ属州に侵略したキンブリ族へ対するために、総司令官ガイウス・マリウスは兵を募ると共に、同盟国であったビテュニアへ支援を要請したものの、ビテュニアは応じることができなかった。そのため、マリウスはローマの奴隷を兵に充てるべく、従順な一部の奴隷を解放するよう指示した。

その際に800名程度のシチリアの奴隷が解放されたが、自らの自由を取り戻すために、奴隷らはローマに対して反乱を起した。首謀者のサルウィウス英語版エウヌス英語版第一次奴隷戦争での指導者)の後継者を自称し、他にアテニオンドイツ語版らが指揮したとされる。

サルウィウスらは歩兵20,000、騎兵2,000を含む訓練された軍を集めたものの、紀元前101年にローマの執政官であったマニウス・アクィッリウスによって鎮圧された。なお、サルウィウスらはこの戦いで死亡したとされる。