第二遣外艦隊(だいにけんがいかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。第一特務艦隊が移行した部隊と、第一遣外艦隊から独立させた部隊の二つがある。

初代(1918年6月13日新編 - 1921年4月4日解散) 編集

1917年に編制された第一特務艦隊を、1918年6月13日に移行して第二遣外艦隊を編制した。1921年4月4日に解散した。

編制 編集

1918年6月13日新編時 編集

1918年12月1日 編集

  • 磐手・矢矧・新高・千歳・明石・第25駆逐隊(白雪・松風・野分・霰)

1919年12月1日 編集

1920年12月1日 編集

  • 春日・新高

歴代司令官 編集

  1. 千坂智次郎中将:1918年6月13日 -
  2. 舟越楫四郎中将:1919年12月1日 - 1920年1月12日[1]
  3. 吉田清風少将:1920年1月12日[1] - 1920年6月1日
  4. 欠員:1920年6月1日 - 1921年4月4日解散

二代(1927年5月16日再設置 - 1933年4月20日解散) 編集

1927年5月16日、中国の特に青島周辺の警備を担当するため、第一遣外艦隊の一部を改編、独立させて編制された。1932年第一次上海事変を契機に、中国方面への警備強化が急務となり、日本海軍は第一・第二遣外艦隊に増援部隊を派遣し、これらの部隊を統括する第三艦隊が新たに編成された。2個遣外艦隊は翌年まで戦隊への組み換えを行わなかったため、第三艦隊の中に2個艦隊が存在する状態が約1年3ヶ月続いた。1933年4月・5月に第一・第二遣外艦隊をそれぞれ第11・第10戦隊に組み替えて、通常の艦隊編制となった。

編制 編集

1927年5月16日再設置時 編集

  • 平戸・対馬・第9駆逐隊(桑・槇・椿・欅)

1927年12月1日 編集

  • 球磨・対馬・第9駆逐隊(桑・槇・椿・欅)

1928年12月10日 編集

  • 木曾・対馬・第9駆逐隊(桑・槇・椿・欅)

1929年11月30日 編集

  • 木曾・第9駆逐隊(桑・槇・椿・欅)

1930年12月1日(第9駆逐隊は12月15日艦隊より解除) 編集

  • 球磨・第9駆逐隊(桑・槇・椿・欅)・第16駆逐隊(朝顔・芙蓉・刈萱)

1931年12月1日 編集

  • 球磨・八雲・第13駆逐隊(若竹・呉竹・早苗・早蕨)・第16駆逐隊(朝顔・芙蓉・刈萱)

1932年12月1日 編集

  • 平戸・第16駆逐隊(朝顔・芙蓉・刈萱)

歴代司令官 編集

  1. 中島晋中将:1927年5月16日 -
  2. 向田金一少将:1928年4月10日 -
  3. 伊地知清弘少将:1928年12月10日 -
  4. 津田静枝少将:1930年5月21日 - 1933年4月20日

脚注 編集

  1. ^ a b 『官報』第2230号、大正9年1月13日。

参考文献 編集

  • 坂本正器・福川秀樹編著『日本海軍編制事典』芙蓉書房出版、2003年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。