メインメニューを開く

第六号駆潜艇[注釈 1](だいろくごうくせんてい)は、日本海軍駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の3番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の6番艇。

第六号駆潜艇
基本情報
建造所 鶴見製鉄造船鶴見工場
運用者  大日本帝国海軍
艦種 駆潜艇
級名 第一号型駆潜艇
建造費 1,579,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル3計画
起工 1938年7月5日
進水 1939年2月6日
竣工 1939年5月20日
最期 1944年3月30日被爆放棄
除籍 1944年10月10日
要目(竣工時)
基準排水量 291トン
全長 56.20m
最大幅 5.60m
吃水 2.10m
機関 艦本式22号6型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 2,600hp
速力 20.0ノット
燃料 重油 20トン
航続距離 14ノットで2,000カイリ
乗員 定員59名
兵装 40mm機銃 連装1基
九四式爆雷投射機2基
爆雷36個
搭載艇 短艇2隻
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
テンプレートを表示

艇歴編集

マル3計画の300トン型駆潜艇、仮称艦名第70号艦として計画。1938年7月5日、鶴見製鉄造船株式会社鶴見工場で起工。9月20日、第六号駆潜艇と命名され、特務艇/駆潜艇/第一号型の6番艇に定められる。1939年2月6日進水。5月20日竣工し、本籍を佐世保鎮守府に定められ、佐世保防備隊附属に編入。

1940年11月15日、艦艇類別等級と特務艇類別等級の改正により、特務艇の駆潜艇から艦艇の駆潜艇となり、本籍を佐世保鎮守府に定められる。同日第4号駆潜艇第5号駆潜艇、本艇の3隻で第二十一駆潜隊を新編し、第二艦隊第一根拠地隊に編入。1941年3月まで内地で訓練に従事(以下、1942年5月1日まで第二十一駆潜隊の行動)。

1941年1月15日、第二艦隊第二根拠地隊に編入。3月25日に訓練を終え中支沿岸に出撃し、交通遮断に従事。4月10日、第三艦隊第二根拠地隊に編入。6月10日、支那方面艦隊作戦指揮下に編入。7月15日から8月まで軍隊区分ふ号艦隊第一護衛隊に配され、ふ号作戦では船団護衛やカムラン湾の警戒に従事。ふ号作戦終了後、支那方面艦隊作戦指揮を解かれて第二根拠地隊指揮下に復帰。8月27日に佐世保へ帰還し訓練と警戒に従事。10月1日、第二十一駆潜隊に第16号駆潜艇第17号駆潜艇第18号駆潜艇の3隻が編入され6隻編制となった。11月26日、寺島水道を発し、30日馬公着。

太平洋戦争の開戦時は軍隊区分菲島部隊第二急襲隊に配され、第四水雷戦隊司令官の指揮下で行動。12月7日に馬公を出撃しビガン攻略に従事。12日、ビガン泊地の警戒任務を解かれ高雄へ回航。18日から24日までリンガエン攻略に従事し、続けてダバオの攻略に従事。

1942年1月24日からは厳島に座乗した第二根拠地隊司令官の直接指揮下でボルネオ島南東部の攻略に従事。3月10日、第二南遣艦隊第二十二特別根拠地隊に編入。ボルネオ方面で護衛に従事。5月1日、本艇は第4号駆潜艇、第5号駆潜艇とともに第二十一駆潜隊から除かれ、第二十二特別根拠地隊附属に編入。8月10日、第二十三特別根拠地隊作戦指揮下に編入され、軍隊区分主隊に配される。スラウェシ島近海で行動。1943年1月26日、アンボン灯台の南西16海里でアメリカ潜水艦「ガジョン」の潜望鏡を発見し爆雷攻撃で損傷させた[1]

1943年3月、第二十三特別根拠地隊作戦指揮を解かれ第二十二特別根拠地隊に復帰。バリクパパン方面での護衛に従事。11月30日、船団(特設運送船國洋丸、健洋丸、吾妻丸)を護衛しトラックへ向けバリクパパン発。12月3日、パラオ南西325km 北緯06度34分 東経131度40分 / 北緯6.567度 東経131.667度 / 6.567; 131.667の地点[注釈 2]で吾妻丸がアメリカ潜水艦ティノサの攻撃により被雷沈没した。船団はトラック行きを取りやめ、4日パラオに入港した。

1944年3月15日、船団を護衛しバリクパパン発。23日パラオ着。30日、船団を護衛し西水道に向けて航行中パラオ大空襲に遭遇した。本艇は被爆のため浸水し、上甲板の一部を除き水没したため放棄され、生存者はパラオへ避退した。10月10日、第六号駆潜艇は第一号型駆潜艇から削除され、帝国駆潜艇籍から除かれた。

駆潜艇長編集

艤装員長
  1. 古谷義二郎 少佐:1939年2月20日 - 1939年5月20日
駆潜艇長[注釈 3]
  1. 安東英雄 予備大尉:1940年11月15日 - 1941年7月17日
  2. 川本源蔵 予備大尉/大尉:1941年7月17日 - 1943年10月15日
  3. 安藤英郎 大尉:1943年10月15日 - 1944年5月1日

脚注編集

[ヘルプ]

注釈編集

  1. ^ 本来の艇名表記は第六號驅潛艇。以下、「第六号駆潜艇」の表記部について同じ。
  2. ^ 駒宮『戦時輸送船団史』、p. 111の記述による。松井『日本・油槽船列伝』、p. 115ではパラオ島西方180カイリとしている。
  3. ^ 昭和15年11月15日付 達 第256号による艦船職員服務規程第1条の改正で駆潜艇長が新設されるまでは、本艇に限らず駆潜艇の艇長は公式には存在しない。

出典編集

  1. ^ 潜水艦攻撃、211-212ページ

参考文献編集

  • 海軍省
    • 法令、令達、命令
      • 昭和12年7月20日付 内令第347号。
      • 昭和13年9月20日付 達第145号、内令第807号。
      • 昭和14年5月20日付 内令第405号。
      • 昭和15年11月15日付 達第256号、内令第836号。
      • 昭和16年10月1日付 内令第1164号。
      • 昭和17年5月1日付 内令第774号。
      • 昭和19年10月10日付 内令第1159号、内令第1165号、内令員第1988号、内令員第1989号。
    • 人事発令
      • 昭和14年2月20日付 海軍辞令公報(部内限)第303号。
      • 昭和14年5月20日付 海軍辞令公報(部内限)第338号。
      • 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第555号。
      • 昭和16年7月18日付 海軍辞令公報(部内限)第674号。
      • 昭和18年10月15日付 海軍辞令公報(部内限)第1240号。
      • 昭和19年5月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1453号。
    • 戦時日誌、功績調査、その他
      • 第二十一駆潜隊支那事変第九回功績概見表。
      • 第二十一駆潜隊支那事変第十回功績概見表。
      • 第二根拠地隊戦時日誌。
      • 菲島部隊第二急襲隊/第四水雷戦隊戦闘詳報。
      • 第二十三特別根拠地隊戦時日誌。
  • 駒宮真七郎 『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』、朝雲新聞社。
    • 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、1969年。
    • 第39巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(4) -第三段作戦前期-』、1970年。
    • 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、1971年。
    • 第71巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(5) -第三段作戦中期-』、1974年。
    • 第77巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(3) -昭和十八年二月まで-』、1974年。
    • 第80巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(2) -昭和十七年六月まで-』、1975年。
  • 松井邦夫 『日本・油槽船列伝』、成山堂書店、1995年、ISBN 4-425-31271-6
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。
  • 丸スペシャル No. 49 日本海軍艦艇シリーズ 『駆潜艇・哨戒艇』、潮書房、1981年。
  • 木俣滋郎『潜水艦攻撃 日本軍が撃沈破した連合軍潜水艦』光人社、2000年、ISBN 4-7698-2289-8