第114師団 (日本軍)
第114師団(だいひゃくじゅうよんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
第114師団 | |
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創設 | 1937年(昭和12年)10月12日 |
廃止 | 1939年(昭和14年)7月22日 |
再編成 | 1944年(昭和19年)7月10日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 宇都宮-華南-華北/華北 |
編成地 | 宇都宮/山西省 臨汾 |
通称号/略称 | 将(第二次) |
補充担任 | 第14師管・宇都宮師管・宇都宮師管区/溝ノ口 |
最終上級単位 | 北支那方面軍/第1軍 |
最終位置 | 山西省 臨汾 |
戦歴 | 大東亜戦争 |
第一次編成
編集1937年(昭和12年)日中戦争が勃発すると、日本本土から次々と師団が中国大陸に派遣され、同時に従来の常設師団から新たに特設師団が編成された。第114師団は、1937年10月12日、留守第14師団の担当で新設された。第10軍(司令官:柳川平助中将)隷下となり、同年11月、第6師団・第18師団とともに杭州湾に上陸し中国軍の背後からの攻撃にあたり、続いて南京攻略戦に参戦する。
1938年(昭和13年)2月、華北に転用され、第5師団・第10師団とともに徐州会戦に従軍した。その後、華北での治安作戦に従事し、1939年(昭和14年)7月に復員。
師団概要
編集歴代師団長
編集参謀長
編集最終所属部隊
編集第二次編成
編集太平洋戦争(大東亜戦争)末期になると、華北に駐屯していた第26師団がフィリピン戦線に、第62師団が沖縄に転用されたため、中国に在った独立歩兵旅団(独立混成旅団)を改編し、占領地の警備と治安維持を目的に編成した治安師団の一つであり、同時に第115師団・第117師団・第118師団が新設された。これら4個師団は、1944年(昭和19年)7月10日、軍令陸甲第79号下令により、編成が発令された。
第114師団は、華北の山西省臨汾運城において独立歩兵第3旅団の復帰人員と第69師団からの転属者などを基幹に山西省臨汾で再編成された。編成後、第1軍に編入され、第69師団より臨汾周辺の警備を引き継いで、山西省の治安粛正の各討伐作戦に従事した。
師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち、砲兵を欠いた丙師団として誕生した。後に師団砲兵隊が所属した。
1945年(昭和20年)8月9日にソ連が対日参戦に際して、平津地区転進を下令され、移動準備中に終戦を迎えた。同地で終戦を迎えたが一部の将兵は残留し閻錫山の指揮の下国共内戦のなか中共軍と戦った。
師団概要
編集歴代師団長
編集参謀長
編集- 高津康雄 大佐:1944年(昭和19年)7月14日 - 終戦[6]
最終司令部構成
編集- 参謀長:高津康雄大佐
- 参謀:大田黒寿中佐
- 参謀:小林正孝少佐
- 高級副官:高橋慶太郎中佐