第12誠良丸事件(だい12せいりょうまるじけん)は、日本漁船第12誠良丸の船長と漁網修理業者が、ソ連国境警備隊の指示により、日本の国内情報や露文タイプライターなどの物品をソビエト連邦に提供していたレポ船事件である[1]1984年昭和59年)12月6日北海道警察検挙[1]

概要

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主犯の漁網修理業者は、日本の北方海域において漁業を営んでいたが、1981年(昭和56年)6月頃、ソ連国境警備隊と連絡をとるようになり、ソ連の主張する領海内で安全に操業する代償として、1983年8月までの間に8回ソ連と接触して、自衛隊の配備状況および軍事演習の動向、ならびに日本国政府要人の来往に関する情報などを提供した[1]。また、ロシア語アルファベットのタイプライターなどを不法に持ち出していた[1]

北海道警察釧路方面本部は、1984年12月6日(木曜日)、漁網修理業者ならびに第12誠良丸の船長を逮捕した[1]根室簡易裁判所は、1984年12月26日、漁網修理業者を漁業法違反の罪で罰金15万円、第12誠良丸の船長に対しては検疫法、漁業法違反の罪で罰金10万円の判決を下した[1][注釈 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本にはスパイ活動そのものを取り締まる法律が存在しないため、防衛秘密の漏洩を含むスパイ活動事件を取り締まることができないのが実情である。

出典

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参考文献 

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関連文献

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  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4-8090-1147-4 

関連項目

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