第2回全国中等学校優勝野球大会

第2回全国中等学校優勝野球大会は、1916年大正5年)8月16日から8月20日まで豊中球場で行われた全国中等学校優勝野球大会である。

第2回全国中等学校優勝野球大会
試合日程 1916年8月16日 - 8月20日
出場校 12校
参加校数 115校
優勝校 慶応普通部関東東京、初優勝)
試合数 13(敗者復活戦含む)試合
大会本塁打 4本
 < 19151917 > 
全国高等学校野球選手権大会
テンプレートを表示

概要編集

地方大会は関西を大阪と紀和に分割し、北陸は前回大会では日程的な問題から不参加だったが、今大会より参加している。一方北海道は当時対外試合が禁止されていたため、前回同様不参加となった。この大会より敗者復活制が採用された。1回戦での敗者6校から2校を抽選で選び、その2校を準々決勝戦として対戦させるというものだった[1]

また、慶応普通部の一塁手として出場したジョン・ダン(お雇い外国人エドウィン・ダンの三男)はアメリカ国籍者であり、外国人選手が初めて参加した大会でもあった。2回戦の香川商戦では3安打の活躍で、「異人さん、いいぞ」と拍手喝采を浴びた[1]

決勝戦は市岡中エース松本終吉が、準決勝で右肩を強打し負傷したため、急遽捕手の富永徳義を投手左翼手田中勝雄を捕手とする急造バッテリーで臨んだが、慶應普通部は3回裏に3失策、1野選、1四球と混乱する市岡中につけこみ、2安打を絡めて一挙5点を挙げた。投げてはエースの山口昇が3安打11奪三振無四球で完投した。なお、山口は慶應義塾大学の正選手も務めていた。当時は選手資格があいまいだったので、こういうことも可能だったのである[2]

代表校編集

地方大会 代表校 出場回数
東北 一関中 初出場
関東 慶応普通部 初出場
東海 愛知四中 初出場
北陸 長野師範 初出場
京津 京都二中 2年連続2回目
大阪 市岡中 初出場
兵庫 関西学院中 初出場
紀和 和歌山中 2年連続2回目
山陽 広島商 初出場
山陰 鳥取中 2年連続2回目
四国 香川商 初出場
九州 中学明善 初出場

試合結果編集

1回戦編集

  • 市岡中 6 - 2 長野師範
  • 広島商 19 - 4 中学明善
  • 香川商 2 - 1 関西学院中
  • 慶応普通部 6 - 2 愛知四中
  • 和歌山中 2 - 1 鳥取中
  • 一関中 3x - 2 京都二中

準々決勝編集

  • 慶応普通部 9 - 3 香川商
  • 和歌山中 6 - 4 広島商
  • 市岡中 8 - 0 一関中
  • 鳥取中 9 - 6 中学明善(敗者復活戦)

準決勝編集

  • 慶応普通部 7 - 3 和歌山中
  • 市岡中 5 - 4 鳥取中(延長10回)

決勝編集

8月20日
チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
市岡中 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 3 6
慶応普通部 0 0 5 1 0 0 0 0 X 6 4 8
  1. (市):富永 - 田中
  2. (慶):山口 - 出口
  3. 審判
    [球審]三木
    [塁審]都築・北村
市岡中
打順守備選手
1[投]富永徳義
2[遊]島道喜一郎
3[捕]田中勝雄
4[左]松本終吉
5[右]平松啓二郎
6[一]山田喜克
7[三]魚谷忠
8[二]岡本見三
9[中]鈴木武雄
慶応普通部
打順守備選手
1[左]佐藤隆雄
2[一]ジョン・ダン
3[投]山口昇
4[三]塩川幸三
5[右]河野元彦
6[遊]平川誠
7[二]足立信夫
8[捕]出口修二
9[中]田島三千雄

大会本塁打編集

  • 第1号:柚花尋(広島商)
  • 第2号:松本終吉(市岡中)
  • 第3号:足立信夫(慶応普通部)
  • 第4号:山口昇(慶応普通部)

記録編集

記録 選手名 対戦校 補足
ノーヒットノーラン 松本終吉(市岡中) 準々決勝・一関中 大会史上初

その他の主な出場選手編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 朝日新聞社高校野球検定委員会監修『高校野球検定公式テキスト』第1刷 朝日新聞出版
  2. ^ アサヒグラフ増刊1978.8.1号『熱球にかけた青春の記録 甲子園大会60年の歩み』

外部リンク編集