第3回全国中等学校優勝野球大会
第3回全国中等学校優勝野球大会(だい3かいぜんこくちゅうとうがっこうゆうしょうやきゅうたいかい)は、1917年8月14日から8月20日まで鳴尾球場で行われた全国中等学校優勝野球大会である。
第3回全国中等学校優勝野球大会 | |
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試合日程 | 1917年8月14日 - 8月20日 |
出場校 | 12校 |
参加校数 | 118校 |
優勝校 | 愛知一中(東海・愛知、初優勝) |
試合数 | 15(敗者復活戦含む)試合 |
大会本塁打 | 0本 |
< 19161918 > 全国高等学校野球選手権大会 |
概要
編集前年までの豊中球場は、観客スペースが小さく、アクセスも輸送力の小さい箕面有馬電車しかなかった。そこで、阪神電気鉄道が当時の鳴尾競馬場内に2つの球場を作り、5~6,000人の観客席を設けて誘致した[1]。またこの大会より、オリンピックやこの年の5月に開催された第3回極東競技大会開会式を参考にして入場式を採用した[1]。
前年に採用された敗者復活制は今回も継続され、1回戦の敗者6校のうち抽選で4校が復活して再度1回戦を行い、勝者同士が2回戦で対戦、その後準決勝に進むという方式に改められた[2]。優勝した愛知一中は1回戦で敗れたものの、4/6の確率でくじを引き当てて敗者復活し、その後すべて1点差で勝ちあがった。決勝戦においても、あとアウト1つで敗戦というところで降雨ノーゲーム[3]となるなど、幸運に恵まれた優勝であった。
しかし敗者復活校が優勝したことが物議を醸し、敗者復活戦は第4回大会から取りやめとなった[1][2]。愛知一中は高校野球史上唯一の敗者復活からの優勝校となった。
代表校
編集地方大会 | 代表校 | 出場回数 |
---|---|---|
東北 | 盛岡中 | 初出場 |
関東 | 慶応普通部 | 2年連続2回目 |
北陸 | 長野師範 | 2年連続2回目 |
東海 | 愛知一中 | 初出場 |
京津 | 京都一中 | 初出場 |
紀和 | 和歌山中 | 3年連続3回目 |
大阪 | 明星商 | 初出場 |
兵庫 | 関西学院中 | 2年連続2回目 |
山陽 | 広島商 | 2年連続2回目 |
山陰 | 杵築中 | 初出場 |
四国 | 香川商 | 2年連続2回目 |
九州 | 長崎中[4] | 初出場 |
試合結果
編集1回戦
編集- 慶応普通部 5 - 3 明星商
- 盛岡中 5 - 1 香川商
- 杵築中 6 - 3 長崎中
- 関西学院中 6 - 3 広島商
- 長野師範 4 - 3 愛知一中
- 京都一中 1 - 0 和歌山中
敗者復活戦
編集- 明星商 8 - 2 長崎中
- 愛知一中 1 - 0 和歌山中
準々決勝
編集- 杵築中 4x - 3 長野師範(延長10回)
- 関西学院中 13 - 2 京都一中
- 愛知一中 2 - 1 明星商
- 盛岡中 2 - 1 慶応普通部
準決勝
編集- 関西学院中 1 - 0 盛岡中
- 愛知一中 3 - 2 杵築中
決勝
編集1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | R | |
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関西学院中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | |
愛知一中 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
- (6回裏2死・降雨ノーゲーム)
- (関):内海 - 近藤
- (愛):長谷川 - 伊藤
その他の主な出場選手
編集脚注
編集- ^ a b c アサヒグラフ増刊1978.8.1号『熱球にかけた青春の記録 甲子園大会60年の歩み』
- ^ a b 朝日新聞高校野球検定委員会監修『高校野球検定公式テキスト』第1刷 朝日新聞出版
- ^ 優勝投手となった長谷川武治は「雨の中止は審判が袴姿でゲームを続けることができなくなったため」と振り返ったという(アサヒグラフ増刊1978.8.1号より)。
- ^ 長崎県立長崎西高等学校と長崎県立長崎東高等学校の前身。