NHK紅白歌合戦 > 第39回NHK紅白歌合戦

第39回NHK紅白歌合戦』(だいさんじゅうきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1988年昭和63年)12月31日NHKホールで行われた、通算39回目で昭和時代最後のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

第39回NHK紅白歌合戦
会場のNHKホール
ジャンル 大型音楽番組
司会者  紅組 和田アキ子
 白組 加山雄三
 総合 杉浦圭子アナウンサー
出演者 出場歌手参照
審査員 審査員参照
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
制作 NHK
放送
放送チャンネルNHK総合テレビ
音声形式ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1988年昭和63年)12月31日
放送時間土曜21:00 - 23:45
放送分165分
回数NHK紅白歌合戦第39
NHK紅白歌合戦公式サイト
番組年表
前作第38回NHK紅白歌合戦(1987年)
次作第40回NHK紅白歌合戦(1989年)
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第39回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1988年(昭和63年)12月31日
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
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概要 編集

  • この年9月昭和天皇の病状が悪化し、日本全国で華美な放送やCMを控える自粛ムードが高まっており、この年の紅白は中止になるかと懸念されていたが、当時NHK放送総局長の遠藤利男が11月17日の会見で「(今年の紅白を)実施したい」と発言[1]。その発言通りに開催された。なお、昭和天皇は本紅白1週間後の1989年1月7日に崩御したため、昭和での紅白は今回が最後となった。
  • 両組司会は2年連続で和田アキ子加山雄三(3年連続)が担当(前回の2人の実績が買われてのものである[2])。一方、総合司会には杉浦圭子(この年4月に『7時のニュース』から新たに立ち上げられた『NHK歌謡パレード'88』の司会に異動)が初起用、女性の総合司会起用は史上初である。加山はNHKアナウンサー以外の人物で史上初の3回並びに3年連続の白組司会担当となった。
  • 司会陣にNHKの男性アナウンサーが起用されなかった事例および総合司会に男性が起用されなかった事例は今回が初めて。
  • 両組司会の候補には、和田・加山の他に由紀さおり北島三郎のコンビ案もあったという。なお、総合司会に起用された杉浦は前回同様、紅組司会での起用プランもあった[3]
  • 今回は前回よりも各1組増加し、第34回1983年)以来5年ぶりの紅白出場歌手各合計21組となった。
  • オープニングは客席から杉浦の喋りの後に、ホールの緞帳が上がり和太鼓の演奏からスタート。その後、和田と加山が登場して短くトークを行い上手・下手の通用口から歌手の一組が持つプラカードを先頭にそのほかの歌手の入場が行われた。入場時の歌手紹介はこの年のソウルオリンピックで実況を務めた島村俊治(当時NHKアナウンサー)が担当した。「選手宣誓」は、紅組は中山美穂、対する白組は当時7名の光GENJIで、史上最多の8名での宣誓となり、宣誓文も第31回1980年)以前の「我々はアーティスト精神に則り、正々堂々、敵をノックアウトするまで戦う事を誓います!!」に戻された。
  • 和田は、前回紅組トリを担当したが、今回は中盤でのステージとなった。和田の歌手出番の曲紹介は小林幸子佐藤しのぶ瀬川瑛子が行った。今回歌った「だってしょうがないじゃない」は翌年にかけてさらに売れ出し、翌年の第40回1989年)でも歌唱された。
  • 加山が歌手として出演する際の代理の曲紹介は五木ひろし森進一が行った。
  • 紅組トリは10年連続出場達成の小林幸子が務め、2年連続で「雪椿」を披露した。
  • 白組トリおよび大トリは25回出場を果たした北島三郎の「年輪」。
  • 今回のトリ選考では、紅組は当初松田聖子が最有力候補だった。その後、「タンスにゴン」のCMが話題になり『歌謡パレード』の今月の歌として発表された「紅とんぼ」を持つ復帰出場のちあきなおみが急追。さらに土壇場で「人生いろいろ」の大ヒットで復帰出場を果たした島倉千代子、「雪椿」がロングヒットを記録していた小林が参戦してくる構図となり、最終的に小林が選出される運びとなった。白組は例年通り北島、森進一五木ひろし(前回担当者)の接戦となったが、白組司会兼任の加山の「My Way」で締め括ろうという案も出され、紅組以上に混戦状態になった。最終的に「今回は人物ではなく全体的な演出のひとつとして、曲で決めました」と、北島の起用が決定した[4]
  • 優勝は白組。
  • 関東地区における平均視聴率は、53.9%となり、またも視聴率ワーストを更新。一方、関西地区では前回の47.8%から54.9%へ、名古屋地区では前回の59.8%から61.2%と視聴率上昇を見せた[5]
  • 21時開始の紅白は今回が最後となった。
  • 和田・加山の両組司会は今回が最後となった[6][7]。なお、加山が初白組司会を担当した1986年第37回)に放送を開始し、加山の白組司会抜擢のきっかけとなった同局の『加山雄三ショー』は翌年3月に放送を終了している。加山は翌年の第40回でも出場歌手専任でオファーがあったが、「紅白において、僕のやるべきことは全てやり遂げたと思います」と辞退した。
  • 翌年の『大河ドラマ』の宣伝演出を行うことが慣例的な中、今回では翌年作品『春日局』の宣伝は特になかった[8]。ただし、同作出演者の五木、吉幾三が出場歌手に選ばれている。
  • 今回を以って歌手応援席は廃止(13年後の第52回2001年〉の第1部の演歌対決で1回だけ復活している)。
  • NHKアーカイブスで視聴できる紅白としては最も新しい紅白である。
  • ブラジルのレコールの「イマージエンス・ド・ジャポン」内での紅白の放送が再開した。ブラジル時間では午前9時30分からの放送だった。

司会者 編集

演奏 編集

審査員 編集

大会委員長 編集

  • 遠藤利男・NHK放送総局長

出場歌手 編集

      初出場      返り咲き

紅組 白組
曲順 歌手 曲順 歌手
1 中山美穂 Witches 2 光GENJI 光GENJI'88メドレー[10]
3 松田聖子 9 Marrakech〜マラケッシュ〜 4 少年隊 3 じれったいね
5 工藤静香 MUGO・ん…色っぽい 6 男闘呼組 DAYBREAK
7 中森明菜 6 I MISSED "THE SHOCK" 8 近藤真彦 8 あぁ、グッと
9 小泉今日子 5 快盗ルビイ 10 チェッカーズ 5 素直にI'm Sorry
11 坂本冬美 祝い酒 12 細川たかし 14 北緯五十度
13 ケー・ウンスク すずめの涙 14 堀内孝雄 ガキの頃のように
15 松原のぶえ 4 男なら 16 新沼謙治 12 さよなら橋
17 和田アキ子 12 だってしょうがないじゃない 18 吉幾三 3 酒よ
19 岸千恵子 津軽じょんから節 20 BAKUFU-SLUMP Runner
21 島田歌穂 オン・マイ・オウン 22 タイム・ファイブ 星に願いを
23 益田宏美 14 未成年 24 TM NETWORK COME ON EVERYBODY '88 FINAL MEGAMIX
25 佐藤しのぶ 2 アヴェ・マリア 26 加山雄三 12 My Way
27 島倉千代子 31 人生いろいろ 28 チョー・ヨンピル 2 恨五百年
29 大月みやこ 3 乱れ花 30 尾形大作 2 いやんなっちゃうなァ
31 瀬川瑛子 2 憂き世川 32 鳥羽一郎 2 男の港
33 小柳ルミ子 18 愛のセレブレイション 34 菅原洋一 22 ラ・クンパルシータ
35 ちあきなおみ 9 紅とんぼ 36 森進一 21 京都去りがたし
37 石川さゆり 11 滝の白糸 38 五木ひろし 18 港の五番町
39 五輪真弓 5 Wind and Roses 40 谷村新司 2 群青
41 小林幸子[11] 10 雪椿 42 北島三郎 25 年輪

選考を巡って 編集

「紅白改革」を謳い大幅な出場者刷新・多ジャンル化を目指した前回の方針は今回でも引き継がれた。

ゲスト出演者 編集

演奏ゲスト 編集

この他、TM NETWORKの曲の際には松本孝弘がギタリストとして演奏していた。松本にとってはこれが唯一の紅白出演である。

脚注 編集

  1. ^ 朝日新聞』1988年11月18日付朝刊、30頁。
  2. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
  3. ^ a b 合田『紅白歌合戦の舞台裏』
  4. ^ 合田『紅白歌合戦の真実』、205頁。
  5. ^ 合田『紅白歌合戦の真実』、206頁。
  6. ^ 翌年の第40回における両組司会は三田佳子(今回の審査員)・武田鉄矢に交代。また、今回総合司会を務めた杉浦は翌年進行役として出演した(総合司会は先輩の松平定知に交代)。
  7. ^ 後者は以後司会を担当していない(ただし、第41回1990年)で白組司会再登板の可能性が取り沙汰された)が、前者は第48回1997年)で紅組司会に復帰している。
  8. ^ 放送が行われた翌年の第40回でも特に作品に触れられることはなかった。
  9. ^ この中には1988年ソウルオリンピックスポーツピストル銀メダルの長谷川智子(現:福島實智子)もいた。
  10. ^ ガラスの十代」「パラダイス銀河」「Diamondハリケーン」「剣の舞」のメドレー
  11. ^ 小林幸子 - NHK人物録
  12. ^ 2年後の1990年12月2日に死去。
  13. ^ 前回辞退を浜口に報告したところ、「紅白で『人生いろいろ』が聞けないのか」と返されたことを明かしている(『島倉家-これが私の遺言』)。
  14. ^ 『紅白50回』、56頁。
  15. ^ 読売新聞』1988年12月14日付東京夕刊、13頁。
  16. ^ 『プレイボーイ』1995年連載「月待ちの窓」第15回82頁
  17. ^ 朝日新聞』1988年12月6日付朝刊、30頁。
  18. ^ a b 合田『紅白歌合戦の舞台裏』、170頁。

注釈 編集

  1. ^ 後述の出場辞退により。

参考文献 編集

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)

関連項目 編集

外部リンク 編集