第4回スーパーボウル

第4回スーパーボウル(だい4かいスーパーボウル、Super Bowl IV)は1970年1月11日ルイジアナ州ニューオーリンズチューレイン・スタジアムで行われた4回目のスーパーボウルAFL-NFL合併前、最後のスーパーボウル。NFLチャンピオンであるミネソタ・バイキングスAFLチャンピオンであるカンザスシティ・チーフスの対戦。チーフスがバイキングスを23-7で破って、初のスーパーボウル制覇を果たした。

第4回スーパーボウル
Super Bowl IV
1 2 3 4

MIN 0 0 7 0

7
KC 3 13 7 0

23
開催日 1970年1月11日
スタジアム チューレイン・スタジアム
開催地 ルイジアナ州ニューオーリンズ
MVP レン・ドーソン,チーフス
優勝予想 Vikings by 12
国歌斉唱 アル・ハート
コイントス レフェリー
ハーフタイム キャロル・チャニング
入場者数 80,562
アメリカにおけるテレビ放送
ネットワーク CBS
実況と解説 ジャック・バックパット・サマロールフランク・ギフォード
視聴率 39.4 (全米)
占有率 69 (全米)
CM広告料
(30秒)
7万8千ドル
 < 第3回 スーパーボウル 第5回 > 

前年の第3回スーパーボウルでAFLのニューヨーク・ジェッツが勝利したものの、多くのスポーツライターやファンは、これをフロックと考えており、NFLチームがAFLチームより優れていると信じており、バイキングスがチーフスを破ることを期待していた。

バイキングスは、NFLチャンピオンシップゲームクリーブランド・ブラウンズを27-7で破りスーパーボウル初出場を果たした。

この試合ではNFLフィルムズがチーフスのヘッドコーチ、ハンク・ストラムマイクロフォンをつけていたことでも知られている[1]

背景編集

1969年3月19日にカリフォルニア州パームスプリングスで行われたオーナー会議でニューオーリンズでの開催が決定した[2]

ミネソタ・バイキングス編集

バイキングスは、AFL創設より1年遅れた1961年に創設された[3]バド・グラントヘッドコーチに率いられたバイキングスはNFLトップの12勝2敗でシーズンを終えた。NFL最多得点の379点をあげ、相手にはNFL最少の133点しか許さなかった。このうちの3試合では50得点以上をあげている。シーズン開幕週と最終週の試合に敗れたがその他の12試合を連勝した。シーズン12連勝は、過去35年間達成したチームがなかった。ディフェンスは、NFLで最も相手に恐れられており、ディフェンシブラインは、パープル・ピープル・イーターズと呼ばれるゲイリー・ラーセンアラン・ペイジカール・エラージム・マーシャルの4人で形成され、ペイジ、エラー、マーシャルの3人がプロボウルに選ばれた[4]。ディフェンシブバックは、ボビー・ブライアントが8インターセプト、アーセル・マックビーが6インターセプト、ポール・クラウスが5インターセプト、1タッチダウンをあげた。

オフェンスではジョー・カップが優れたリーダーシップと走力を見せた。スクランブルの際に多くのQBがタックルを受けることを避け、スライディングするのと異なり、彼はタックラーにショルダーチャージを行った[4]。こうしたプレースタイルから彼は「Indestructible」というニックネームがついた。クリーブランド・ブラウンズとのNFLチャンピオンシップゲームで彼は相手ラインバッカーのジム・ヒューストンと激しく接触し、ヒューストンは途中退場した[4]。彼はチームのMVPに選ばれたが、自分だけが活躍したのではないとMVPを辞退した[4][5]。ランニングバックのデイブ・オズボーンがチームトップの643ヤードを走り、7タッチダウン、22回のレシーブで236ヤード、1タッチダウンをあげた。パスオフェンスではプロボウルに選ばれたワイドレシーバー・ジーン・ワシントンが39回のレシーブで821ヤード(平均21.1ヤード)、9タッチダウン、ジョン・ヘンダーソンが34回のレシーブで553ヤード、5タッチダウンをあげた。オフェンスラインではグレイディ・アルダーマンミック・ティンゲルホフがプロボウルに選ばれた[4]

1969年NFLチャンピオンシップゲームに勝利したバイキングスはエド・ソープ記念トロフィーを最後に受け取ったチームとなった。

カンザスシティ・チーフス編集

チーフスはハンク・ストラムヘッドコーチに率いられ、11勝3敗のAFL西地区2位でシーズンを終えた[4]。QBレン・ドーソンは第2週の試合でひざを負傷し、その後6試合に欠場した。しかし控えQBのマイク・リビングストンがその6試合で5勝した。チームは最終週にオークランド・レイダースに6-10で敗れて11勝3敗となり、12勝1敗1分のレイダースに次ぐAFL西地区2位でシーズンを終えた。最終週にレイダースに敗れた後、多くのスポーツライターやファンはドーソンのプレーコールを厳しく批判した。ドーソンはレギュラーシーズンの80-90%のプレーでプレーコールを行っていた。

12月16日にロードで行われたニューヨーク・ジェッツ戦で34-16と勝利し、4試合を残して9勝1敗となりプレーオフ進出を決めた。1970年のAFLとNFLの統合を前に、1969年のプレーオフは4チームで争われた。東西各地区の2位のチームが他地区の1位チームのホームに遠征する形式である。プレーオフでは前年のスーパーボウルチャンピオンのジェッツに13-6で勝利し、AFLチャンピオンシップゲームでは、前年のプレーオフでは6-41で敗れ、1969年シーズン中2度敗れたレイダースと対戦、17-7で破り3年ぶり2度目のスーパーボウル出場を果たした[4]ワイルドカードからスーパーボウルに出場するのは、チーフスが最初であった。

ドーソンは、NFLではピッツバーグ・スティーラーズクリーブランド・ブラウンズで合計5シーズン控えQBを務めており[4]、AFLのトップQBの1人となっていたもののNFLのQBのレベルと比較はできないと多くの人々は考えていた。AFLでの8シーズンで彼はプロのどのQBよりも多い182タッチダウンパスをあげたが[4]、AFLはNFLと同格ではないと考えられていた。第1回スーパーボウルでチーフスはグリーンベイ・パッカーズに10-35で敗れており[6]、この試合はAFLがNFLに劣るリーグではないことをドーソンが証明するチャンスであった。

ハンク・ストラムによる革新的なフォーメーションや戦略は相手チームの守備に混乱をもたらした。1965年のハイズマン賞受賞者であるRBマイク・ギャレットは、732ヤードを走り6タッチダウンをあげた。また43回のレシーブで432ヤード、2タッチダウンをあげた。RBロバート・ホームズはランで612ヤード、レシーブで266ヤードを獲得、5タッチダウンをあげた。RBウォーレン・マクビーは、500ヤードを走り7タッチダウン、WRオーティス・テイラーは、41回のレシーブで696ヤード、7タッチダウンをあげた。オフェンスラインのエド・バッドジム・タイラーはAFLのオールスターに選ばれた。またプレースキッカーヤン・ステナルードパンタージェレル・ウィルソンは優れたキッカーであった。

チーフスの守備はAFL最少の177失点であった。DTバック・ブキャナンカーリー・カルプ、DEジェリー・メイズアーロン・ブラウンの4人はバイキングスと同様に優れたディフェンスラインであった。またLBウィリー・レニエルも4インターセプト、1ファンブルリカバーの成績をあげてAFLのオールスターに選ばれた。セカンダリーのエミット・トーマスは9インターセプト、1タッチダウン、ジム・カーニーが5インターセプト、1タッチダウン、ジョニー・ロビンソンが8インターセプトをあげた。

ディビジョナルラウンドではパス17回中13回成功で276ヤードを獲得し、6タッチダウンをあげてヒューストン・オイラーズを56-7で破ったダリル・ラモニカ[4]、前年のチーフスとのプレーオフで347ヤードを獲得、5タッチダウンをあげて41-6で勝利していたが、この年のAFLチャンピオンシップゲームでは、チーフスの守備は、パス39回中わずか15回成功に抑え、第4Qに3インターセプトを奪った。この試合でアーロン・ブラウンがパスラッシュをした際、ラモニカは右手を負傷し、4インターセプトを喫した[4]

プレーオフ編集

プレーオフではチーフスは、過去2年のAFLチャンピオンを破りスーパーボウル出場を決めた。ディフェンス合戦となったニューヨーク・ジェッツとの試合ではドーソンがオーティス・テイラーへの61ヤードのパスを決めた後、グロスター・リチャードソンへの19ヤードのタッチダウンパスを決め、13-6で勝利した。この試合でディフェンスはジェッツの攻撃をわずか234ヤードに抑え、4つのターンオーバーを奪った。レイダースとの試合では第1Qに0-7とリードされたが、第2Qにフランク・ピッツへの41ヤードのパスを成功させた後、ウェンデル。ヘイズの1ヤードのタッチダウンランで同点とした。第3Qにはエミット・トーマスがエンドゾーン内で相手のパスをインターセプト、95ヤードのドライブをロバート・ホームズのタッチダウンランで締めくくった。14-7とリードして第4Qに入ったチーフスは、3インターセプトなど、4回のターンオーバーを奪い勝利した。

チーム創設から9年目のバイキングスは、ロサンゼルス・ラムズに23-20で勝ち、プレーオフ初勝利をあげた。この試合、ラムズに終始リードを許していたが、第4Qのタッチダウンドライブで21-20と逆転し、カール・エラーがエンドゾーン内でロマン・ゲイブリエルをサックして、セイフティで追加点をあげ、残り30秒にアラン・ペイジがインターセプトをあげた。クリーブランド・ブラウンズとのNFLチャンピオンシップゲームでは、前半を24-0で折り返し、27-7で勝利した。この試合でバイキングスのオフェンスは、381ヤードを獲得、ターンオーバーなし、カップはパスで169ヤードを獲得、1タッチダウンをあげた。またオズボーンが108ヤードを走り、ワシントンは3回のレシーブで125ヤードを獲得した。

試合前の話題編集

多くのスポーツライターやファンは、バイキングスがチーフスに楽勝すると予想していた。前年のスーパーボウルで同じAFLのニューヨーク・ジェッツが勝利したにもかかわらず、AFLが勝利したのはまぐれだと思われていた[7]。彼らは全てのNFLチームは、全てのAFLチームより優れていると考えていた。両リーグの違いを無視したとしても、バイキングスがNFL最高勝率をあげ、得失点差246得点であるのに対して、チーフスは地区優勝さえできていないことから、バイキングスの方が優れたチームであると見られていた。

スーパーボウルの5日前、ドーソンが賭博に関与している疑いが報道されたこともあり、彼は睡眠不足で試合の準備に集中することもできなかった[6]

バド・グラントはスーパーボウルに出場するヘッドコーチでは、初めてネクタイを着けないコーチであった。一方、ハンク・ストラムは、スーツに赤いベスト、胸ポケットにチーフスのヘルメットのロゴの入ったブレザーを着用していた。

入場者数は80,562人とNFLとAFL統合までの4回の大会で最も多い観衆となった。

テレビ放送編集

全米ではCBSが放送を行った。実況はジャック・バックパット・サマロールフランク・ギフォードジャック・ウィッテイカーが解説を務めた。ニューオーリンズ地区ではテレビのブラックアウトが行われチケットは売り切れた。

CBSは第1回スーパーボウル、第2回スーパーボウルと同様に、この放送の数日後にビデオテープを消去した。当時のビデオテープは高価であったため、古い試合映像を大切に保管することに価値があるとは考えられていなかったためである。この試合の映像はカナダのテレビ局であるCBCと、ケベック州でフランス語バージョンの放送を行うラジオ・カナダによってのみ残っている。バイキングスの本拠地、ミネソタ州はカナダに近いこと、バド・グラントは、カナディアン・フットボール・リーグの伝説的な選手であったため、カナダの放送局は、アーカイブを保管したのである。

ハンク・ストラムとマイク編集

NFLフィルムズエド・セイボル社長は試合前日夜にハンク・ストラムチーフスヘッドコーチと会い、隠しマイクを着用してもらい、NFLフィルムズが制作する第4回スーパーボウルの記録用に彼の肉声を記録した。2人は隠しマイクを着用していることは2人だけの秘密であり、スーパーボウルでヘッドコーチにマイクが着用される初めてのケースとなった。絶え間なく言葉を発するストラムにより、NFLフィルムズが制作したスーパーボウルの映像の中でもこの試合映像は人気となった。

試合経過編集

チーフスのハンク・ストラムヘッドコーチは、攻撃コーディネーターも兼ねており、バイキングスに対して効果的なゲームプランを用意していた。彼はバイキングスのディフェンスラインのカール・エラージム・マーシャルがセカンダリーがショートパスを阻止したり、QBにプレッシャーを与えるため、セカンダリーがレシーバーから離れてプレーしていることを知った。そしてエラー、マーシャルの2人にダブルチームで当たり、ドーソンにはショートパスを指示した。またバイキングスのディフェンスに対してトラッププレーを用意した。マイク・ギャレットのタッチダウンランはトラッププレーで決まった。バイキングスのインサイドへのランプレーは、センターのミック・ティンゲルホフのブロックがラインバッカーをブロックすることで成り立っていたが、235ポンドのティンゲルホフに対しては、285ポンドのバック・ブキャナン、295ポンドのカーリー・カルプを当たらせた。NFLではAFLと比べてグレイハウンドのようなより軽量で俊敏なセンターが起用されていたが、体重差のミスマッチをストラムは利用したのである。バイキングスはランでのファーストダウンの更新は、わずか2回に抑えられた。

第1Q編集

第1Q、バイキングスは最初の攻撃で自陣20ヤード地点からジョー・カップの2本のパスで36ヤードを獲得するなど、敵陣39ヤード地点まで前進した。続くパスでビル・ブラウンがパスを捕ったが、このプレーはボビー・ベルジェリー・メイズの活躍で1ヤードのロスとなり、第3ダウンとなった。ジョン・ビーズリーへのパスが失敗に終わり、バイキングスはパントを蹴ることとなった。このドライブでバイキングスはランでわずか6ヤードしか獲得できなかった。このドライブでバイキングスは、敵陣38ヤードまで前進したが、タッチダウンをあげたドライブを除くと最もエンドゾーンに近づいたドライブであった[6]

チーフスは、フランク・ピッツへの20ヤードのパスなど、8プレーで42ヤード前進した。そしてスーパーボウル記録となる48ヤードのFGをヤン・ステナルードが決めて3-0と先制した。この記録は第28回スーパーボウルバッファロー・ビルズスティーブ・クリスティが更新するまでスーパーボウル記録であった。ステナルードはチャーリー・ゴゴラックピート・ゴゴラック兄弟とともに、プロフットボールでは最初に現れたサッカースタイルのキッカーであった[6]。それまでのプレースキッカーは、ストレートスタイルであるトーキックで蹴っていたのに対して、インステップキックで蹴っていた。

バイキングスは次のドライブでフィールド中央まで進んだが、パントに終わった。次の攻撃でチーフスは、ドーソンからピッツへの20ヤードのパス、オーティス・テイラーへの9ヤードのパスが成功したところで、第1Qは終了した。

第2Q編集

チーフスの攻撃は続き、第2Q開始後4プレー目、第3ダウンにエド・シャーロックマンパス・インターフェアランスの反則を犯し、敵陣31ヤード地点まで進んだ。第3ダウン残り4ヤードでテイラーを狙ったロングパスをバイキングスのCBアーセル・マックビーが阻止し、ステナルードが32ヤードのFGを成功[6]、6-0となった。

バイキングスは次のドライブの2プレー目にWRジョン・ヘンダーソンがパスをキャッチし16ヤードを獲得したところでファンブル、チーフスのディフェンスバック、ジョニー・ロビンソンがボールを敵陣46ヤード地点でリカバーした。チーフスは絶好のフィールドポジションを得たが、第1ダウンでアラン・ペイジマイク・ギャレットにタックルし、1ヤードのロス、次のプレーでポール・クラウスが自陣7ヤード地点でドーソンのパスをインターセプトした。バイキングスもターンオーバー直後のドライブでカップがパス2回不成功、ディレイ・オブ・ザ・ゲームの反則で自陣5ヤードからのパントとなった。ボブ・リーのパントはわずか39ヤードしか飛ばず、チーフスは敵陣44ヤード地点からの攻撃権を獲得した。

ピッツがエンドアラウンドプレーで19ヤードを獲得、その後、ステナルードが3本目のFGを決めて、9-0となった。

続くキックオフでバイキングスのリターナー、チャーリー・ウェストがボールをファンブル、チーフスのレミ・プラドホムが敵陣19ヤード地点でボールをリカバーした[3][6]。最初のプレーで、DEジム・マーシャルのQBサックで、チーフスはジム・マーシャルのサックで8ヤードをロスしたが、RBウェンデル・ヘイズがIフォーメーションからのドロープレー、テイラーのレシーブで敵陣4ヤードまで前進した。3プレー後、ギャレットが5ヤードのタッチダウンランをあげて16-0となった。このプレーでコールされたのが、65トス・パワートラップと呼ばれるプレーである[8]。この試合でストラムには上述のようにマイクロフォンが着けられており"65-toss power trap"のプレーコールでタッチダウンをあげた後の"Chinese fire drill"(奴らはあわてふためいている)という発言が知られている[9]。このプレーでは右ガードのモー・ムーアマンがアラン・ペイジをブロックし、大きなホールができた。

バイキングスは、ウェストがキックオフで27ヤードをリターンし、自陣32ヤード地点からドライブを開始した。ヘンダーソンへの27ヤードのパスで敵陣41ヤードまで前進したが、続く3プレーでパス2回不成功及びバック・ブキャナンのQBサックで8ヤードをロスし、第4ダウンでフレッド・コックスが56ヤードのFG[10]を蹴ったがゴールポストまで届かず、得点できなかった[6]。前半、バイキングスはランでわずか24ヤードしか獲得できず、5回の第3ダウンは全てファーストダウンを獲得できなかった。

第3Q編集

第3Qにバイキングスはモメンタムを取り戻した。後半最初のチーフスの攻撃でパントを蹴らせ、カップが4回のパスで47ヤード、ランで7ヤードを獲得、この試合で初めて第3ダウンを更新するなど、10プレーで69ヤードを獲得、FBデイブ・オズボーンの4ヤードのTDランで16-7と点差をつめた[3][6]。しかし次のドライブでチーフスは、6プレーで82ヤード、ピッツのリバースプレーで7ヤードを獲得し[6]、ファーストダウンを獲得、バイキングスのパーソナルファウルでの15ヤードの前進した。その後、ドーソンはオーティス・テイラーにショートパスを投げ、テイラーがこれを敵陣41ヤードでキャッチ、アーセル・マックビーのタックルをかわし、Sカール・カサルキーのタックルもかわして46ヤードのタッチダウンレシーブをあげ、23-7となった[11][6]

第4Q編集

決定的な追加点をチーフスがあげた後、バイキングスの攻撃はチーフスディフェンスの前に沈黙、バイキングスの3回のドライブはいずれもインターセプトに終わり、23-7で試合は終わった。タフガイであったバイキングスQBカップは、残り5分44秒に、チーフスのアーロン・ブラウンにサックされた際、肩を負傷して途中退場[3]ゲイリー・コゾーが交代で出場した[6]。前年のスーパーボウルの番狂わせを演じたニューヨーク・ジェッツのウィーブ・ユーバンクヘッドコーチは、試合の1週間前に、カップは不必要なランで怪我をするおそれがあると予言していたが、そのとおりとなった[6]。バイキングスの最後のプレーは、CBエミット・トーマスのインターセプトとなった。

試合終了後、バイキングスのバド・グラントヘッドコーチは、「我々は素晴らしいチームと戦い負けたのだ。」と語った[4]

ドーソンはパス17回中12回成功、142ヤード、1タッチダウン、1インターセプトの成績でMVPに選ばれた。レギュラーシーズン中ひざの負傷に悩まされ、わずか1回しか走っていなかった彼は3回走り、第4Qには11ヤードを走りファーストダウンを獲得した[6]。ギャレットが11回のランで39ヤードを走り、1タッチダウン、この試合のリーディングラッシャーとなった。彼はまた2回のレシーブで25ヤード、キックオフも1回リターンした。テイラーが6回のレシーブで81ヤード、1タッチダウン、リーディングレシーバーとなった。カップは、パス25回中16回成功、183ヤードを獲得したが、2インターセプトを喫した。ヘンダーソンが7回のレシーブで111ヤードを獲得した。NFLチャンピオンシップゲームでは、108ヤードを走ったオズボーンは7回のランで15ヤード、57ヤードを走ったカップは2回のランで9ヤードと、2人合計で24ヤードの獲得に封じられた[6]。またオールプロに選ばれたジーン・ワシントンも1回のレシーブで[6]9ヤードに終わった。チーフスのディフェンスライン、ジェリー・メイズ、バック・ブキャナン、カーリー・カルプ、アーロン・ブラウンの4人は、ロサンゼルス・ラムズのフィアサム・フォーサム(恐ろしい4人組)のように活躍、バイキングスのオフェンスラインをずたずたにした。試合出場が危ぶまれていた右セイフティのジョニー・ロビンソンとミドルラインバッカーのウィリー・レニエルがカップからインターセプト、エミット・トーマスがコゾーからインターセプトをあげた[6]

バイキングスはインターセプト3回、ファンブル3回、反則6回を喫した。カップは、この試合を最後にバイキングスを離れ、1970年は、ボストン・ペイトリオッツでプレーした。

この年のチーフスの勝利でAFLとNFLの統合を前にしてAFLがスーパーボウルで2連勝となった。

勝者のチーフスの選手には15,000ドルが、敗者のバイキングスの選手には7,500ドルが支払われた[6]

チーフスは、プレーオフ全ての試合で失点を1桁に抑えた唯一のチームとなっている。

スターティングラインアップ編集

ミネソタ・バイキングス ポジション カンザスシティ・チーフス
オフェンス
ジーン・ワシントン
Gene Washington
WR フランク・ピッツ
Frank Pitts
グレイディ・アルダーマン
Grady Alderman
LT ジム・タイラー
Jim Tyrer
ジム・ヴェロン
Jim Vellone
LG エド・バッデ
Ed Budde
ミック・ティンゲルホフ
Mick Tingelhoff
C E・J・ホラブ
E. J. Holub
ミルト・サンデ
Milt Sunde
RG モー・ムーアマン
Mo Moorman
ロン・ヤーリー
Ron Yary
RT デイブ・ヒル
Dave Hill
ジョン・ビーズリー
John Beasley
TE フレッド・アルバナス
Fred Arbanas
ジョン・ヘンダーソン
John Henderson
WR オーティス・テイラー
Otis Taylor
ジョー・カップ
Joe Kapp
QB レン・ドーソン
Len Dawson
デイブ・オズボーン
Dave Osborn
RB マイク・ギャレット
Mike Garrett
ビル・ブラウン
Bill Brown
RB ロバート・ホームズ
Robert Holmes
ディフェンス
カール・エラー
Carl Eller
LE ジェリー・メイズ
Jerry Mays
ゲイリー・ラーセン
Gary Larsen
LDT カーリー・カルプ
Curley Culp
アラン・ペイジ
Alan Page
RDT バック・ブキャナン
Buck Buchanan
ジム・マーシャル
Jim Marshall
RDE アーロン・ブラウン
Aaron Brown
ロイ・ウィンストン
Roy Winston
LOLB ボビー・ベル
Bobby Bell
ロニー・ウォーウィック
Lonnie Warwick
MLB ウィリー・レニエル
Willie Lanier
ウォリー・ヒルゲンバーグ
Wally Hilgenberg
ROLB ジム・リンチ
Jim Lynch
アーセル・マックビー
Earsell Mackbee
LCB ジム・マーサリス
Jim Marsalis
エド・シャロックマン
Ed Sharockman
RCB エミット・トーマス
Emmitt Thomas
カール・カサルキー
Karl Kassulke
SS ジム・カーニー
Jim Kearney
ポール・クラウス
Paul Krause
FS ジョニー・ロビンソン
Johnny Robinson
スペシャルチーム
フレッド・コックス
Fred Cox
K ヤン・ステナルード
Jan Stenerud
ボブ・リー
Bob Lee
P ジェレル・ウィルソン
Jerrel Wilson
ヘッドコーチ
バド・グラント
Bud Grant
ハンク・ストラム
Hank Stram

その後編集

バイキングスはNFLとAFLの統合後、NFC中地区優勝を繰り返し、第8回スーパーボウル第9回スーパーボウル第11回スーパーボウルに出場したがいずれも敗れた[12]。スーパーボウルに4回出場し、いずれも敗れたのは他に第12回スーパーボウルから第24回スーパーボウルまで敗れたデンバー・ブロンコス第25回スーパーボウルから第28回スーパーボウルまで敗れたバッファロー・ビルズのみである。ブロンコスはその後、第32回スーパーボウルで優勝した。

チーフスは1970年代以降長く低迷し、ジョー・モンタナの在籍した1993年以降、AFC第1シードとなりホームアドバンテージを獲得してもプレーオフ初戦で敗れるなど、2018年インディアナポリス・コルツに31-13で勝利するまで25年間プレーオフで勝てなかった[13]

|第54回スーパーボウルまで50年間スーパーボウル出場から遠ざかった[14]

30年後の第34回スーパーボウルのコイントスにバド・グラント、ラマー・ハント、ボビー・ベル、ポール・クラウス、ウィリー・レニエル、アラン・ペイジ、ヤン・ステナルードが参加した[15]

2008年に NFLフィルムズが制作した番組、「アメリカズゲーム 〜スーパーボウルチャンピオンズ〜」のスピンオフ作品である「アメリカズゲーム 〜ミッシング・リングス〜」で、この年のバイキングスを特集した番組が放送された[16]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ The Chiefs are Super Bowl-bound for first time in 18,270 days”. USAトゥデイ (2020年1月19日). 2020年1月28日閲覧。
  2. ^ Super Bowl Moved To New Orleans”. DAYTONA BEACH MORNING JOURNAL (1969年3月20日). 2020年1月27日閲覧。
  3. ^ a b c d Super Bowl: Pro Football's Greatest Games. Scholastic Paperbacks. (1981). p. 32-40. ISBN 9780590317849 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l Richard J, Brenner (1988). The Complete Super Bowl Story. pp. 22-25. ISBN 0-82251-503-2 
  5. ^ Chris Tomasson (2019年9月17日). “Alzheimer’s won’t stop ex-Vikings QB Joe Kapp from joining Super Bowl IV teammates”. TwinCities PIONEER PRESS. 2020年1月29日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Dave Brady (1970年1月12日). “Super Chiefs Shock Vikings, 23-7”. ワシントン・ポスト. 2020年1月28日閲覧。
  7. ^ Stu Black (1982). SUPER BOWL HEROES. Watermill Press. p. 34. ISBN 0-89375-770-5 
  8. ^ Michael Ielpi (2009年6月3日). “My Top 10 Super Bowl Coaching Decisions”. bleacherreport.com. 2012年6月13日閲覧。
  9. ^ Joe Posnanski (2010年2月3日). “How NFL Films transformed football”. スポーツ・イラストレイテッド. 2012年6月13日閲覧。
  10. ^ 当時はゴールポストの位置が現在と異なり、10ヤード手前にあった。
  11. ^ Stu Black (1982). SUPER BOWL HEROES. Watermill Press. p. 35. ISBN 0-89375-770-5 
  12. ^ Vikings Franchise Timeline”. ミネソタ・バイキングス. 2020年1月29日閲覧。
  13. ^ Chiefs end playoff losing streak against Colts with 31-13 rout”. pressdemocrat.com (2019年1月12日). 2020年1月29日閲覧。
  14. ^ The Kansas City Chiefs Waited 50 Years for This Super Bowl Date”. ニューヨーク・タイムズ (2020年1月20日). 2020年1月28日閲覧。
  15. ^ Six HOFers to toss coin at Super Bowl”. プロフットボール殿堂 (2004年1月26日). 2020年1月29日閲覧。
  16. ^ 'Missing Rings' featuring '69 Vikings debuts Sept. 25”. NFLネットワーク (2012年7月26日). 2020年1月29日閲覧。

外部リンク編集