第53師団 (日本軍)
第53師団(だいごじゅうさんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
第53師団 | |
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創設 | 1941年(昭和16年)9月16日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 京都-ビルマ |
編成地 | 京都 |
通称号/略称 | 安(やすし) |
補充担任 | 京都師管・京都師管区 |
最終上級単位 | 緬甸方面軍 |
最終位置 | ビルマ 南部シッタン付近 |
戦歴 |
太平洋戦争 (ビルマの戦い) |
概要
編集1940年(昭和15年)8月から常設師団のうちの8個師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として留守師団を基幹にした師団の新設が進められることになった。まず、同年7月10日に6個師団(第51師団・第52師団・第54師団・第55師団・第56師団・第57師団)が編成され、その翌年の1941年(昭和16年)9月16日に留守第16師団を基幹に編成されたのが第53師団である。なお、第1師団分については代替師団が編成されなかった。
第53師団は京都で編成され、京都・滋賀・三重・福井の四府県を徴兵区としていた。その管轄区域は京都師管といった。京都師管は1945年に京都師管区と改称し、同時に補充任務等の管轄区域の軍政を担当していた留守第53師団が、京都師管区司令部となった。
沿革
編集師団は編成後、当初は京都に在り中部軍に属していたが、1943年(昭和18年)11月に動員され南方軍予備として派遣、1944年(昭和19年)1月からサイゴン、シンガポールなどに到着した。そして、インパール作戦の実施に伴いビルマに派遣された。
拉孟・騰越の戦い、イラワジ会戦に参加。シッタン作戦で第28軍の撤退援護のため、シッタン川付近で英印軍との戦闘を交える中で終戦を迎えた。
師団概要
編集歴代師団長
編集- 馬場正郎 中将:1941年(昭和16年)10月1日 - 1943年9月25日[1]
- 河野悦次郎 中将:1943年(昭和18年)9月25日 - 1944年4月27日[2]
- 武田馨 中将:1944年(昭和19年)4月27日 - 1945年2月20日[3]
- 林義秀 中将:1945年(昭和20年)2月20日 - 終戦[4]
参謀長
編集- 中村忠英 大佐:1941年(昭和16年)10月1日[5] - 1944年7月28日
- 大矢部省三 中佐:1944年(昭和19年)7月28日 - 1944年12月12日[6]
- 芦川春雄 大佐:1944年(昭和19年)12月12日 - 1945年7月13日[7]
- 欠員:1945年(昭和20年)7月14日 - 終戦[8]