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笹津橋(ささづばし)は、岐阜県を源流とし、富山県富山市を南北に流れる神通川に架かる歩行者・自転車専用1941年昭和16年)7月に車道橋として供用開始され、のちに国道41号の橋となった4代目の橋であり[1]、国の登録有形文化財に登録されている。なお、本項では関連事項として、笹津橋に代わり新たな国道41号の道路橋として架けられた新笹津橋についても説明する。

笹津橋
高山本線の車窓より神通川を臨む.jpg
笹津橋(手前)と新笹津橋(奥)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 富山市
交差物件 神通川
設計者
施工者
高野勉
建設 1941年昭和16年)7月
座標 北緯36度33分27.7秒 東経137度12分54.7秒 / 北緯36.557694度 東経137.215194度 / 36.557694; 137.215194
構造諸元
形式 メラミン式鉄骨コンクリートによる上路式固定アーチ橋
材料 鉄骨鉄筋コンクリート
全長 85.0m
6.5m
最大支間長 65m
地図
笹津橋の位置
笹津橋の位置
笹津橋の位置
笹津橋の位置
笹津橋の位置
関連項目
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概要編集

神通川の流れが飛騨山脈から延びる尾根裾から富山平野へと移り変わる峡谷の入り口に架る、長さ85m、幅員6.5mの橋である。1981年(昭和56年)までは国道41号の一部であり、片側1車線(歩道なし)の車道橋であった。設計者は当時の土木技師で後の旧建設省道路局長、技監を務めた高野務である[1]。1981年(昭和56年)、この橋の上流側すぐ脇にほぼ並行して、初代笹津橋から数えると5代目となる国道41号の新笹津橋が開通したことにより、笹津橋は車道橋の役目を新橋に譲ったが、撤去はされず、歩行者・自転車専用の橋として残ることとなった。

その後、戦前の橋として現存する橋では支間長(スパン)が2番目に大きい(65m)こと、橋は県定公園神通峡県定公園」の入り口あり、その自然豊かな渓谷の景観にマッチした躍動感あるデザインであること、長きに渡り富山(北陸地方)と飛騨中京地方を結ぶ橋として産業や交流に寄与したことが認められ、2000年平成12年)2月15日に、富山県の橋梁としては桜橋に次いで国の登録有形文化財に登録された[1]。また日本の近代土木遺産2800選に選ばれているほか、2009年(平成21年)には、「とやまの文化財百選(とやまの近代歴史遺産部門)」に選定されている[2]

歴史編集

 
2代目笹津橋

江戸時代より越中と飛騨地方を結ぶ主要街道であり「ブリ街道」ともいわれる飛騨街道は、神通川の流れに沿って設けられており、初代笹津橋は、明治に入り富山と飛騨地方との交流・公易の促進を目的に、富山県令(のちの富山県知事国重正文の命により、50間(約90m)の川幅に1884年(明治17年)に着工し、1886年(明治19年)12月に長さ109mの木造橋として完成した[3]。これに伴い街道幅も1間(約1.8m)から3間(約5.4m)に拡幅した。しかしこの木造橋は急流である神通川の激しい流れに耐えきれず橋脚が傾き、約1年で通行できなくなった[3][4]。これは寒さ厳しい冬場にコンクリートの橋脚を作ったため、水が凍ってセメントとの化学反応がうまく進行せず堅固な橋脚ができなかったためであった。なおこれにより、県知事の国重正文と知事を補佐する書記官であった滝吉弘(滝廉太郎の父)が、当時の内閣総理大臣である伊藤博文に進退伺を出しており、国重正文は報酬停止3か月の処分を受けた[3]

2代目は佐藤工業創業者である佐藤助九郎が、1890年(明治23年)5月に私費を投じ建設することを富山県に願い出て、1891年(明治24年)10月に着工、1892年(明治25年)12月に完成した木・鉄混合のトラス橋[3]、長さ55間(約99.9m)、幅3間3尺(約6.05m)で、有料橋として人6厘(商人2銭)、馬5銭の通行料を徴収した。しかしこの橋により、物資・文化交流が盛んになったことから通行量が激増し、老朽化が早く進み明治末期には使用できなくなった[4]

3代目は県により1912年大正元年)に完成した鋼鉄製の吊り橋で、長さ85.0m、幅員6.0mであった。1931年(昭和6年)には大修繕を施したが、老朽化により1935年(昭和10年)頃よりトラック等の重量通行制限を行っていた[4]

4代目で現在も残る橋は、1941年(昭和16年)に3代目の約40m上流に作られた[4]。その後、1953年(昭和28年)5月18日に二級国道155号名古屋富山線の、1959年(昭和34年)4月1日には一級国道41号の橋となった。

構造編集

メラミン式鉄骨コンクリートによる上路式固定アーチ橋。長さ85.0m、幅員6.5m、車道幅員6.0m(歩道なし)、径間65.0m(単アーチ)、側径間各11.0mで、戦前の橋として現存する橋では支間(スパン)が2番目に大きい。設計荷重は自動車荷重12tで、建設当時すでに戦時下であったため、戦車が通過できる強度に設計されたといわれている。

また、笹津橋は飛騨、猪谷側から富山市街地方面へ車で走行すると、橋直前に急カーブを描き橋に進入することとなり、曲がりきれずに神通川に転落する大事故が幾度か起こっていた。そこで新笹津橋は安全性を考慮し橋自体にカーブを設けるなどの対策を取っている(新笹津橋を参照)。

新笹津橋
基本情報
  日本
所在地 富山市
交差物件 神通川
建設 1981年(昭和56年)
構造諸元
形式 鋼ソリッドリブアーチ橋
全長 125.0m
9.5m
関連項目
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新笹津橋編集

4代目笹津橋に代わり、1981年(昭和56年)に完成した新たな国道41号の車道片側1車線(歩道なし)の橋で、この地に架る橋としては初代から数えて5代目となる鋼ソリッドリブアーチ橋である。右岸、左岸の道路を神通川に対して斜めに交わらせ、さらに橋自体にゆるいカーブを設けることで安全性を高めており、そのため橋長は125.0mと長くなった。なお幅員は9.5m、車道幅員7.0mである。

近隣の施設・名所編集

脚注編集

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  1. ^ a b c 土木紀行 神通峡に映す歴史のアーチ —国登録有形文化財 笹津橋—建設マネジメント技術 2011年12月号(通号403号) 58P
  2. ^ 『とやまの文化財百選シリーズ(6) とやまの近代歴史遺産』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)31P
  3. ^ a b c d 『タイムスリップ 明治のとやま20 発展支えた橋・建物2 飛越交易の要 笹津橋』北日本新聞 2018年8月25日30面
  4. ^ a b c d 土木紀行 神通峡に映す歴史のアーチ —国登録有形文化財 笹津橋—建設マネジメント技術 2011年12月号(通号403号) 59P

参考文献編集

  • 『建設マネジメント技術 2011年12月号(通号403号)』建設マネジメント技術編集委員会 編・日本建設情報総合センター 監修
  • 『富山の橋 THE BRIDGES OF TOYAMA』(富山県土木部道路課)2012年(平成24年)発行
  • 『とやまの文化財百選シリーズ(6) とやまの近代歴史遺産』(富山県教育委員会 生涯学習・文化財室)2010年(平成22年)3月発行

関連項目編集

外部リンク編集