筑摩県
概要編集
1871年(明治4年)、第1次府県統合により、信濃国・飛騨国6県の統合により誕生した。このとき、名古屋県の信濃国部分(旧尾張藩領であった木曽地域)も編入されている。しかし、1876年に信濃国が長野県に、飛騨国が岐阜県に合併されて廃止された。
現長野県側では、長野県に合併以降も分県を目指す動きがあったが、県庁が置かれた松本城二の丸の火災や、内部の方向性がまとまらなかったため、分県で誕生する県がいくつかある中、唯一分県されないまま現在に至っている。
沿革編集
- 1871年(明治4年)11月20日 - 第1次府県統合により信濃国伊那県、高島県、高遠県、飯田県、松本県、飛騨国高山県が統合され、飛騨国および信濃国中部・南部に筑摩県が発足。県庁は筑摩郡松本(現在の長野県松本市丸の内)の松本城に設置。飯田城と高山陣屋に支庁が設置された。
- 1872年(明治5年) - 学制施行。第三大区に属す(後に第二大区)。
- 1873年(明治6年) - 県内に30大区199小区を置く。
- 1876年(明治9年)6月19日 - 同日深夜、筑摩県庁から火災が発生し、県庁舎が焼失[1]。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により、信濃国が長野県[1]に、飛騨国が岐阜県に合併。同日筑摩県廃止。