篠弘
日本の編集者、詩人 (1933-2022)
篠 弘(しの ひろし、1933年3月23日 - 2022年12月12日[1])は、日本の歌人・近代短歌研究者。短歌結社「まひる野」代表。日本現代詩歌文学館館長、日本文藝家協会理事長。日本ペンクラブ会員。近現代短歌史研究に功績を残した[1]。
誕生 |
1933年3月23日 日本・東京都 |
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死没 |
2022年12月12日(89歳没) 日本・東京都 |
職業 | 歌人 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 文学博士 |
最終学歴 | 早稲田大学第一文学部卒業 |
活動期間 | 1955年 - 2022年 |
ジャンル | 短歌 |
代表作 |
『近代短歌論争史』 『現代短歌史』 |
所属 | 短歌結社 まひる野 |
影響を受けたもの
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略歴
編集出典[2]
- 東京に生まれる。
- 1945年旧制東京府立第五中学校(後の東京都立小石川高等学校、現東京都立小石川中等教育学校)入学、谷鼎[3][4]に6年間師事。
- 早稲田大学第一文学部国文学科入学。1951年、大学1年の時土岐善麿に卒業論文を「玉葉集」(京極為兼)とされる。窪田章一郎[5]に大学院進学を勧められる。
- 小学館に入社。百科事典などの編集に携わり、「ジャポニカ」のシリーズで一世を風靡。取締役出版本部長、社長室顧問を歴任する。
- 1971年、「京極為兼」(土岐善麿、筑摩書房「日本詩人選」)の一部を代筆[6]。
- 1998年から2008年まで愛知淑徳大学教授。
- 2001年から2008年まで、現代歌人協会理事長。
- 日本現代詩歌文学館館長、宮中歌会始の選者、毎日歌壇選者も務める。
- 1992年、「自然主義と近代短歌」で文学博士(早稲田大学)[7]。
- 2010年、詩歌人として初めて日本文芸家協会理事長に就任。2016年までつとめる
- 2018年、宮内庁御用掛[8]。
- 2022年12月12日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。89歳没。
受賞・叙勲歴
編集主な著作
編集歌集
編集- 昨日の絵(1984・短歌新聞社)
- 百科全書派(1990・砂子屋書房)
- 濃密な都市(1992・砂子屋書房)
- 至福の旅びと(1994・砂子屋書房)
- 凱旋門(1999・砂子屋書房)
- 軟着陸(2003・砂子屋書房)
- 緑の斜面(2006・短歌研究社)
- 篠弘全歌集(2006・砂子屋書房)
- 神保町街(2008・短歌新聞社)
- 東京人 (2009・角川書店)
- 日日炎炎 (2014・砂子屋書房)
- 司会者(2019・砂子屋書房)
歌書
編集- 近代短歌史 無名者の世紀(1974・三一書房)
- 近代短歌論争史 明治大正編(1976・角川書店)
- 篠弘歌論集(1979・国文社)
- 近代短歌論争史 昭和編(角川書店 1981.7)
- 現代短歌史1~3(1983-1994・短歌研究社)
- 自然主義と近代短歌(明治書院、1985.11)
- 生き方の表現 日本放送出版協会(1996.4)
- 現代短歌史の争点 対論形式による(短歌研究社 1998.12)
- 疾走する女性歌人-現代短歌の新しい流れ(2000・4 集英社新書)
- 残すべき歌論 二十世紀の短歌論(角川書店 2011.3)
- 戦争と歌人たち(本阿弥書店 2020.10)
- 共編著
脚注
編集- ^ a b “歌人の篠弘さんが死去 89歳、明敏な短歌史研究”. nippon.com. (2022年12月13日) 2022年12月13日閲覧。
- ^ 「土岐善麿さんからもらったデュポンのライター」日本経済新聞2015年11月9日夕刊
- ^ 1896-1960。東京高等師範学校を経て京都帝国大学国文科卒。窪田空穂創刊の「国民文学」の主要同人。土岐善麿創刊の「生活と芸術」に寄稿。昭和6年に斎藤茂吉と藤原定家の歌を巡る「花紅葉論争」で有名になる。その後1951年大東文化大学教授。
- ^ 谷鼎の略歴神奈川県秦野市立図書館
- ^ 窪田空穂の長男。
- ^ お礼にデュポンの漆塗りのライターをもらう。
- ^ CiNii 博士論文
- ^ 和歌の御用掛に篠弘氏 陛下や皇族の相談役産経ニュース 2018.5.1
- ^ “平成17年秋の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 2 (2005年11月3日). 2006年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月24日閲覧。