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来歴編集

1963年3月1日坪重兵衛厩舎所属の騎手としてデビュー。同年デビューには大崎昭一安田伊佐夫久保敏文小林常泰領家政蔵らがいる。

早くから頭角を現し、デビュー3年目となる1966年には、牝馬ハードイツトに騎乗して神戸盃重賞を初勝利すると、京都盃も勝って連勝し、続く菊花賞でもスピードシンボリの3着に入るなど健闘した。

活躍馬には牝馬が多く、ファインローズで牡馬混合競走のスポーツニッポン賞金杯や松籟ステークス(中京大賞典の代替競走)を勝ったほか、ファインハピーでもデイリー杯3歳ステークスシンザン記念を勝利し、またトウメイにも一時期騎乗して、マイラーズカップを勝利している。

簗田のお手馬でとくに有名なのがイットーである。1975年に、それまで主戦騎手を務めてきた高尾武士の引退に伴い主戦騎手を任され、マイラーズカップキタノカチドキの2着になると、スワンステークス高松宮杯を制覇している。

しかし、1970年代半ばから騎乗数が減り始め、勝利数も減少していった。体調を崩した1980年は2回のみ騎乗、6月21日の第3回中京3日目第7競走で8着に入線したのが最後の騎乗となり[2]、1980年12月8日、癌性胸膜炎のため38歳で死去した[1]

通算成績編集

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 騎乗回数 勝率 連対率
平地 364 373 320 2,212 3,269 .111 .225
障害 7 11 6 22 46 .152 .391
371 384 326 2,258 3,315 .112 .228
  • 初騎乗 1963年3月16日 ヒサトシ(11着)
  • 初勝利 1963年5月4日 ナンバタイコウ
  • 重賞競走16勝

重賞勝利編集

脚注編集

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  1. ^ a b 日本中央競馬会『優駿』1981年1月号、p.89
  2. ^ 最後の勝利は6月15日の中京第11競走で、1番人気の馬に乗ってのものだった。

参考文献編集

「中央競馬年鑑」(昭和38年 - 昭和56年版)(日本中央競馬会)