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米友仁作《雲山図卷》メトロポリタン美術館蔵[1]

米 友仁(べい ゆうじん、1074年[2] - 1153年)は、北宋末・南宋初の書家画家官僚。幼名は寅哥。は元暉(げんき)[3]は海嶽後人(かいがくこうじん)[4]、晩年は懶拙老人(らんせつろうじん)と号した。潤州(現在の江蘇省鎮江市)の人。父の米芾を大米、友仁は小米と称される。

来歴編集

幼い頃から学問に努め、書画をよくし、書画ともに父からの影響が強い。書は父の特徴をよく伝え、父には及ばないが風格がある。画も父に倣ったと伝えられるが、米芾の絵は簡単な珊瑚筆架の素描1点しか残っていないため、むしろ少数ながら伝世されている米友仁の絵から米芾の画風が推し測られている。米友仁の画はいわゆる米法山水であり、数点現存している。

北宋滅亡のあとの金宋戦争の影響で各地を放浪し、後に地方官を歴任したあと工部侍郎、敷文閣直学士となり、高宗皇帝のコレクションの鑑定を行った。米友仁の署名や跋が高宗皇帝のコレクションだった書画に屡々残っている。

作品編集

脚注編集

  1. ^ 南宋 米友仁 雲山圖卷 Cloudy Mountains, before 1200”. メトロポリタン美術館. 2019年7月1日閲覧。
  2. ^ 寅哥という幼名から寅年だと推定した場合。
  3. ^ 元暉の号は黄庭堅から贈られたもの。
  4. ^ 海嶽は父米芾の号。

参考文献編集

  • 世界美術小辞典 東洋編 中国絵画Ⅳ 芸術新潮、1975年3月号掲載
  • 鈴木敬 瀟湘臥遊図巻について(下) 東洋文化研究所紀要 第79册、1979年03月、東京大学東洋文化研究所
  • 鄧椿 畫継 巻第3(畫継・畫継補遺) 人民美術出版社、北京、1963年に収録