米川 敏子(よねかわ としこ、1913年2月2日[1] - 2005年12月13日)は、生田流箏曲家。二代を数える。

1913年箏曲家・米川琴翁の娘として兵庫県姫路市に生まれる[2]。牛込高等女学校(現・豊島岡女子学園中学校・高等学校)卒業[1]。1942年日本文化連盟コンクール1位となるなど、若い頃から高い評価を受けた[3]芸術祭では奨励賞、優秀賞などを受賞。数多くの作曲も行った。父の死後家元となる。1996年人間国宝[3]2002年日本芸術院会員。2003年文化功労者[4]2005年12月13日、東京都港区で死去[5]

米川の死後、2007年に次女で箏曲家の後藤裕枝が「米川敏子」を襲名した[6]

弟の米川恭男(二代目米川親敏)も箏曲家。ロシア文学者米川正夫、箏曲家の米川文子(初代)の姪にあたる。

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