米津常春

徳川家の家臣、徳川十六神将の一人

米津 常春(よねきつ つねはる/じょうしゅん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将松平氏徳川氏)の家臣。徳川十六神将の一人に数えられる。

 
米津 常春
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 大永4年(1524年
死没 慶長17年(1612年
改名 藤蔵(幼名)、常春
別名 三十郎、小大夫(通称)
戒名 浄心
主君 松平広忠徳川家康
氏族 米津氏
父母 米津勝信
兄弟 常春政信
正勝春親
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生涯編集

大永4年(1524年)、米津勝信[1]の嫡男として誕生。三河国碧海郡米津[2]出身。

米津氏は古くから松平氏譜代の家臣で、父・勝信と共に松平広忠元康に仕えた。

天文18年(1549年)、今川義元に従属していた松平氏の下で織田信秀の三河拠点である安祥城を攻めた際には、城主・織田信広を捕らえる活躍を見せた。また、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際には、三河衆の先鋒として、弟・政信や子・正勝と共に従軍。元康の丸根城大高城攻めに加わった。三河一向一揆の際にもいち早く岡崎城に駆けつけて常に家康と共にあり、鎮圧に力を尽くした。

その後、永禄7年(1564年)の三河赤坂合戦で渡辺守綱と共に槍を振るって活躍したとの記述を最後に常春の記録は途絶え[要出典]慶長17年(1612年)に89歳で没したという記録が残るのみである。

脚注編集

  1. ^ 勝政、号・道寿。
  2. ^ 現在の愛知県西尾市