粟屋元信
粟屋 元信(あわや もとのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の譜代家臣。父は粟屋元種。
時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文22年(1553年) |
死没 | 天正8年4月14日(1580年5月27日) |
別名 | 与十郎(通称) |
主君 | 毛利輝元 |
氏族 | 源姓粟屋氏 |
父母 | 父:粟屋元種 |
生涯編集
天文22年(1553年)、毛利氏の譜代家臣である粟屋元種の嫡男として生まれ、毛利輝元に仕える。
天正6年(1578年)、石山本願寺支援のため、父・元種と共に摂津国木津城に在城した。
天正8年(1580年)、輝元の備中出陣において先鋒部隊の将を務めたが、同年4月14日に備中国下加茂の山中において伊賀久隆の強襲を受け戦死。享年28。この戦いは元信の他にも児玉元房、井上元勝、奈古屋元賀、小寺就武、三戸元好、宇多田藤右衛門などが討ち取られ、一手の大将を務めた神田元忠が負傷する大敗であった(加茂崩れ)。