糸東流(しとうりゅう)は、摩文仁賢和によって開かれた空手道流派首里手那覇手、両方の流れを組む流派である。松濤館流剛柔流和道流と並び、空手道の四大流派の一つに数えられている。

糸東流
しとうりゅう
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発生国 日本の旗 日本
発生年 1934年
創始者 摩文仁賢和
源流 空手道(首里手 • 那覇手)
流派 主な会派団体を参照。
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摩文仁賢和

概要編集

開祖の摩文仁賢和は、鬼大城賢雄の末裔、夏氏摩文仁家に生まれ 糸洲安恒より首里手を、東恩納寛量より那覇手をそれぞれ学び、兵役終了後、警察官になった後も、地方に隠れた首里手、那覇手以外の形・技法について模索し続け、松村派、新垣派などの各派を修め、空手以外にも琉球古武術の棒術、釵術を学び、のみならず神伝不動流などの本土の柔術も学んだ[1][2]中で、全ての技術と精神を融合、融和させたものが糸東流空手道である。

その技法上の特徴は、単に突き蹴りだけでなく、投げ、逆技といった技術をも含み、まさに総合武道の様相を呈する。また、「守・破・離」(基本を忠実に・それを応用し・そこから独立する)という言葉に代表される様に、形という基本を守りながら、それを応用し、組手と結び付けていくことによって作り上げられた分解組手などに、その奥義までをも修めることが出来るように体系づけられている。

また、精神教育に重点を置いた摩文仁賢和は「君子の拳」を標榜し、円満な人格の形成・向上を目指した指導を行った。

基本鍛錬として巻藁を使用した突き・蹴りの鍛錬や、砂利の上での正拳腕立て伏せなどより実践的な肉体鍛錬に重きを置いているところは実践的な流派ならではと言える。

歴史編集

昭和9年(1934年)、摩文仁賢和が大阪に道場「養秀館」を設立。流派名を糸洲、東恩納両師の頭文字を取り「糸東流」を名乗る。昭和14年(1939年)、大日本武徳会に「糸東流」が登録され、賢和は空手術錬士号を授与される。昭和27年(1952年)、賢和は大阪で没した。

摩文仁賢和が師範免許を数多く出したため、糸東流は分派した会派が多いとされている。また、糸東流宗家は二つある。全日本空手道連盟糸東会は摩文仁賢和の長男・摩文仁賢榮を二代目宗家とし、摩文仁賢雄を三代目宗家としている。一方、日本空手道会は賢和の三男・摩文仁賢三を二世宗家とし、摩文仁司を三世宗家としている。

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首里手・那覇手を中心に、鶴法など幅広い技術体系が確立されている流派であり、他の流派と比べても形の種類が多い。

糸洲派

  内歩進初段、二段、三段、古流の形
  平安初段、二段、三段、四段、五段
  抜砦大、小、石嶺派、松村派
  公相君大、小、四方公相君、北谷屋良公相君
  慈手、慈允、慈音
  腕秀、腕朶雲
  鷺碑初段、二段、三段
  鎮東、鎮定、鎮衆
  五十四歩

剛柔流

  三戦、転掌
  十三、征遠鎮、十八、三十六、暮留波、士操鎮、
  西破、壱百零八

参考形

 新垣派
  二十四、操鎮、雲手
 松茂良派
  ワンクワン、アーナン
 鶴法
  八歩連、白鳥、二十八歩[3]

糸東流の全日本空手道連盟指定形は次のとおり。

  • 第一指定形 バッサイダイ セイエンチン
  • 第二指定形 マツムラローハイ 二十八歩(ニーハイポ)

主な会派団体編集

全日本空手道連盟糸東会

詳しくは全日本空手道連盟糸東会の項参照

日本空手道林派糸東流会
日本空手道糸洲会

詳しくは日本空手道糸洲会の項参照

谷派糸東流拳法空手道修交会
糸東流修交会空手道連合
草野派糸東流拳法空手道会
日本空手道明武会
賢友流空手道
日本空手道正氣會
日本空手道泊親会

詳しくは日本空手道泊親会の項参照

日本空手道会
日本空手道陽明会
  • 平成4年(1992年)、日本空手道正氣会より独立。所属している大学の主要校としては、近畿大学工学部等がある。
尚心派糸東流空手道連盟

詳しくは尚心派糸東流空手道連盟の項参照

日本空手道信川派糸東流会

詳しくは日本空手道信川派糸東流会の項参照

脚注編集

  1. ^ 綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』 東京コピイ出版部 1978年
  2. ^ 『月刊空手道』2001年1月号 福昌堂 2001年
  3. ^ 昭和10年頃の摩文仁賢和自筆ノートから

関連項目編集

外部リンク編集