紀元前12世紀
紀元前1200年から紀元前1101年までの100年間
(紀元前1200年から転送)
紀元前12世紀(きげんぜんじゅうにせいき)は、西暦による紀元前1200年から紀元前1101年までの100年間を指す世紀。
千年紀: | 紀元前2千年紀 |
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世紀: | 前13世紀 - 紀元前12世紀 - 前11世紀 |





出来事 編集
紀元前1200年代 編集
- 紀元前1200年頃
紀元前1190年代 編集
- 紀元前1195年頃 - 地中海東岸の諸都市が「海の民」に破壊される。
- 紀元前1194年 - トロイア戦争の始まり(伝承に基づくエラトステネスの計算による)。
- 紀元前1192年頃 - 殷の武丁が死去(紀元前1250年頃 - (夏商周年表プロジェクトによる))。
- 紀元前1190年頃
紀元前1180年代 編集
紀元前1170年代 編集
- 紀元前1178年4月16日 - ギリシア各地で皆既日食。
- 紀元前1178年頃 - エジプト王ラムセス3世がデルタの戦いで「海の民」連合軍に勝利する。
- 紀元前1175年頃 - エジプト王ラムセス3世がリビュア人の侵入を再び撃退。
紀元前1150年代 編集
- 紀元前1159年頃 - アイスランドのヘクラ火山第三期噴火。
- 紀元前1158年頃 - エラム王シュトルク・ナフンテ1世がバビロンを陥落させカッシート朝を滅ぼす。
- ハンムラビ法典の石碑もこの時スサへ持ち出され、後世スサ遺跡で考古学者により発見される。
- この時期が中期エラム王国の最盛期で、エシュカフト・イ・サルマンの最古期の浮き彫りが作られる。
- エラム人退却の後にバビロンにはマルドゥク・カビト・アヘシュ王によりイシン第2王朝(バビロン第4王朝)が成立。
- 紀元前1157年頃 - ラムセス3世支配のエジプトのデール・エル・メディーナで建築職人によるストライキが発生(記録上最古のストライキ)。
- 紀元前1155年頃 - エジプト王ラムセス3世が暗殺され、暗殺の首謀者である王子ペンタウアーが処刑される。
紀元前1140年代 編集
- 紀元前1141年頃 - エジプト王ラムセス5世死去。ミイラの調査からラムセス5世は世界最古の天然痘の罹患者だったことが判明している。
紀元前1120年代 編集
- 紀元前1126年頃 - 伝承ではアテナイ王テュモエテスの死によりテセウス王家が断絶。アテナイ王にピュロス王家のメラントスが即位。
- 紀元前1125年頃 - イシン第2王朝のネブカドネザル1世王が即位( - 紀元前1104年)。
- この王は在世中にエラムを攻撃し、カッシート朝滅亡以来奪われていたマルドゥク神像をバビロンに持ち帰る。
- アッシリア王アッシュール・レシュ・イシ1世とも戦うがめぼしい戦果は得られず敗北する。
紀元前1110年代 編集
- 紀元前1115年頃 - アッシリア王ティグラト・ピレセル1世が即位( - 紀元前1077年頃)。
- 即位から5年間は領土拡大政策により、旧ミタンニ領のフルリ人を服属させ、地中海まで進軍。
- 紀元前1112年頃 - 殷の文丁が即位。文丁は帝乙・比干・箕子の父でもある。
- 紀元前1110年頃 - ラムセス9世支配下のエジプトで王家の谷が盗掘され、調査により「墓泥棒のパピルス」が記録される。
紀元前1100年代 編集
人物 編集
- ヨシュア - ヘブライ人の士師・モーセの後継者
- シュッピルリウマ2世 - ヒッタイト王国の最後の王(在位前1215年/10年 - 前1190年頃)
- ラムセス3世 - エジプト第20王朝のファラオ(在位前1186年 - 前1155年)
- ラムセス4世
- ラムセス5世
- ラムセス6世
- ラムセス7世
- ラムセス8世
- ラムセス9世
- ラムセス10世
- ラムセス11世
- シュトルク・ナフンテ1世 - エラム王国の王(在位前1185年頃 - 前1155年頃)
- プリアモス - トロイア最後の王(在位? - 前1084年?)
- メラントス - アテナイ王(在位前1126年 - 前1089年)
- ネブカドネザル1世 - イシン第2王朝(バビロン第4王朝)の王(在位前1125年頃 - 前1104年頃)
伝説・架空のできごと 編集
参考文献 編集
- エリック・H・クライン著 安原和見訳 『B.C.1177 - 古代グローバル文明の崩壊』 筑摩書房、2018年。ISBN 978-4-480-85816-0。