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他の紀年法編集

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できごと編集

ギリシア編集

エジプト編集

セレウコス朝編集

  • アンティオコス4世の軍はキプロスでの戦いに勝利し、知事は島を差し出した。
  • アンティオコス4世はその後エジプトに再び侵攻し、下エジプトを占拠して軍はアレクサンドリア郊外に拠点を構えた。しかしローマの大使Gaius Popillius Laenasがそれに介入した。彼はアンティオコス4世に、エジプトとキプロスから即刻立ち退くよう最後通告を送った。不意を突かれたアンティオコスは検討する時間を求めたが、Popilliusは王の周りの地面に杖で円を描き、アンティオコスがこの円から出る前に明確な回答をするよう求めた。ローマとの戦争を恐れ、王は大使の要求に従うことを決めた。その見返りとして、ローマはアンティオコス4世がシリア南部を保有することを認めた。
  • ヤソンメネラウスエルサレムの大司祭の座を譲り、アンティオコス4世はこれを自身の権力に対する侮辱と捉えた。

誕生編集

死去編集

脚注編集

注釈

出典

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関連項目編集