紀元前195年
年
紀元前195年(きげんぜん195ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前3世紀 - 前2世紀 - 前1世紀 |
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十年紀 |
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年 |
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他の紀年法 編集
できごと 編集
カルタゴ 編集
- カルタゴの行政と立法を改革したため、ハンニバルはカルタゴの一部の貴族の不興を買い、またローマ帝国からもセレウコス朝の王アンティオコス3世を扇動してローマに反抗させたと非難された。ローマはカルタゴにハンニバルの引き渡しを要求したが、ハンニバルは自ら国外に亡命した。
セレウコス朝 編集
- ハンニバルがアンティオコス3世によってエフェソスに匿われ、その相談相手になると、アンティオコス3世とローマの間の緊張が高まった。
- ローマの外交官が干渉すると、アンティオコス3世はプトレマイオス朝との戦争を中断した。平和条約によって、アンティオコス3世は公式にシリア南部の領有を認められ、アナトリアのエジプト領土も手に入れた。
共和政ローマ 編集
- 執政官 - マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウスとルキウス・ウァレリウス・フラックス
- ヒスパニアの総督となったカトがヒスパニアの原住民の反乱を屈服させ、グアダルキビール川まで勢力を広げた。なお、カトは援軍となったケルティベリア人に200タレント(約12万デナリウス)を支払ったが、そのことでローマ人から多くの批判を浴びた。カトがローマに戻ると、ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクスが後を継いでヒスパニア総督になった。[要出典]
- ローマの贅沢を禁止する法律Lex Oppiaは、女性の蓄財を禁止するだけではなく、富の誇示も禁じたが、執政官のカトの強い反対にあって撤回された。
ギリシア 編集
エジプト 編集
- ギリシアの批評家、文法学者であるビザンティオンのアリストパネスがアレクサンドリアの司書長になった。
中国 編集
朝鮮 編集
誕生 編集
「Category:紀元前195年生」も参照
- ミトラダテス1世、パルティア王(+ 紀元前138年)
- プビリウス・テレンティウス・アフェル、ローマの劇作家(+ 紀元前159年)
死去 編集
「Category:紀元前195年没」も参照
脚注 編集
注釈
出典