メインメニューを開く

他の紀年法編集

できごと編集

ペルシア編集

ギリシア編集

シチリア編集

共和政ローマ編集

  • ラティウム人の大使が元老院に送られ、共和政ローマとラティウム人で一つの共和国を構成するよう求めた。ラティウム人は、自分たちはローマに匹敵すると考えていたのである。ローマは、ラティウム同盟のリーダーであると考えていたので、ラティウム人が同等の政治力を持つことやローマの元老院に入れることを拒否した。ローマが提案を拒否したため、第二次ラティウム戦争が始まった。ラティウムはカンパニアとともに戦う一方で、ローマはサムニウムに加わりラティウムを攻撃した。ラティウムの中のラウレンテス族とカンパニアの中のエクィテスはローマ側についた。パエリグニ族英語版の支援を受けていたためである。
  • ローマはサムニウムへの恐怖を通じてカンパニア軍とラティウム同盟軍の引き離しに成功し、カンパニアに単独講和を促した。結果、カプアクーマエを含むカンパニアの3つの都市に、ローマ市民権が認められ、ローマ化した。ローマはナポリ湾まで広がった。

中国編集

  • 商鞅へ侵攻し、自ら兵を率いて討伐した(呉城の役中国語版)。またかつて親友であった魏の総大将である公子卬中国語版を欺いてこれを捕虜にし、黄河以西の土地を奪った。魏の恵王は「あの時の公叔痤の言葉に従わなかったためにこのような事になってしまった」と大いに悔やんだという。この功績により公孫鞅は商・於という土地の15邑に封ぜられた。これより商鞅と呼ばれる。
  • が博望で会合し、魏を攻撃した。
  • 宣王が死去し、子の威王が即位した。

誕生編集

死去編集

脚注編集

注釈

出典

[ヘルプ]

関連項目編集