紀元前342年
年
紀元前342年(きげんぜん342ねん)は、ローマ暦の年である。
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
---|---|
十年紀 |
前360年代 前350年代 前340年代 前330年代 前320年代 |
年 |
前345年 前344年 前343年 紀元前342年 前341年 前340年 前339年 |
当時は、「アハラとルティルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元412年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前342年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
編集できごと
編集マケドニア
編集- ギリシアの哲学者アリストテレスは、ピリッポス2世により首都のペラへ息子のアレクサンドロスの家庭教師として招かれる。ギリシアの重要な知的人物として、アレクサンドロスを軍事指導者としての未来の役割のために準備させることを依頼されていた。
- ピリッポス2世は、マケドニアの県として併合すべく、トラキアでの一連の軍事行動を開始する。マケドニア軍がケルソネス・トラキア(現在のゲリボル半島)に近付いた時、アテナイの将軍ディオペイテスがトラキア地方を荒らし回り、かくして半島の彼の町の余りにも近くで行動したことでピリッポスの怒りを買った。ピリッポスは彼の罷免を要求する。これに応じて、アテナイの議会が召集された。デモステネスはアテナイ人にディオペイテスを罷免しないように説得する。
シチリア
編集共和政ローマ
編集- ガウルス山の戦いがローマ人とサムニウム人の間で戦われる。戦いはマルクス・ウァレリウス・コルウスが率いたと言われるローマ人側の成功だった。クーマエ布巾のガウルス山でのこの戦いは、第一次サムニウム戦争で最も有名な戦闘である。
中国
編集誕生
編集→「Category:紀元前342年生」も参照
死去
編集→「Category:紀元前342年没」も参照
脚注
編集注釈
出典