紀元前392年(きげんぜん392ねん)は、ローマ暦の年である。

世紀 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀
十年紀 前410年代 前400年代
前390年代
前380年代 前370年代
前395年 前394年 前393年
紀元前392年
前391年 前390年 前389年

当時は、「ポティトゥスカピトリヌス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元362年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前392年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法 編集

できごと 編集

ペルシア帝国 編集

ギリシア 編集

共和政ローマ 編集

シチリア 編集

  • シュラクサイ僭主ディオニュシオス1世は、再びカルタゴの遠征に晒された。ディオニュシオス1世は、それまで地元先住民シケロイ人 への実力支配を強化してきたが、(カルタゴの脅威を前に)シケロイ人と同盟を結ばざるをえなくなった。マゴ (Mago) 率いるカルタゴ軍は、敗北し、和平協定を結んで、カルタゴに帰還した。和平協定の内容は、ディオニュシオス1世に有利なものであった。

芸術 編集

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集

注釈

出典

関連項目 編集