紀元前506年(きげんぜんごひゃくろくねん)は、西暦ローマ暦)による年。

世紀 前7世紀 - 前6世紀 - 前5世紀
十年紀 前520年代 前510年代
前500年代
前490年代 前480年代
前509年 前508年 前507年
紀元前506年
前505年 前504年 前503年

当時、古代ローマにおいては、「ルフスアクィリヌス共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降においてはローマ建国紀元248年とされた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前506年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法

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できごと

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中国

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  • ・許・曹などの諸国が召陵に会盟し、に対する進攻を決議した。
  • 蔡が召陵の会に参加しなかった沈を滅ぼした。
  • 楚が蔡を包囲した。
  • 晋の士鞅と衛の孔圉が軍を率いて鮮虞を攻撃した。
  • ・蔡・が楚に侵攻した。
  • 柏挙の戦い - 孫武の率いる呉の軍勢が楚軍を柏挙で破り、楚の都であったを破壊し、楚の昭王は逃亡を余儀なくされた[1]

誕生

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死去

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脚注

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注釈

出典

  1. ^ Warfare”. Ancient History Encyclopedia Limited. 2014年4月25日閲覧。

関連項目

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