紀元前620年(きげんぜん620ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元134年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前620年と表記されるのが一般的となった。

世紀 前8世紀 - 前7世紀 - 前6世紀
十年紀 前640年代 前630年代
前620年代
前610年代 前600年代
前623年 前622年 前621年
紀元前620年
前619年 前618年 前617年

他の紀年法 編集

できごと 編集

中国 編集

  • に侵攻し、須句を奪った。
  • 成公が死去し、昭公が即位すると、公族たちを粛清しようとした。穆・襄の族たちは、国人を率いて昭公を攻撃し、公孫固や公孫鄭を公宮で殺害した。
  • の公子雍の帰国を援助した。晋の趙盾や大夫たちは穆嬴を恐れて太子夷皋を即位させた。趙盾は秦軍を令狐で撃破した。先蔑や士会は秦に亡命した。
  • 晋の趙盾・昭公・宋の昭公・成公共公穆公らが扈で会合して盟を交わした。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集