紀元前719年(きげんぜん719ねん)は、西暦ローマ暦)による年。紀元前1世紀共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元35年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前719年と表記されるのが一般的となった。

世紀 前9世紀 - 前8世紀 - 前7世紀
十年紀 前730年代 前720年代
前710年代
前700年代 前690年代
前722年 前721年 前720年
紀元前719年
前718年 前717年 前716年

他の紀年法 編集

できごと 編集

中国 編集

  • 莒軍が杞を攻撃し、牟婁を奪った。
  • 州吁桓公を殺害し、自ら国君として立った。
  • 隠公殤公が清で会合した。
  • 宋・・衛の連合軍がを攻撃した。
  • 宋・陳・蔡・衛・魯の連合軍が鄭を攻撃した。
  • 衛の州吁と石厚が陳で捕らえられた。衛から右宰の丑が派遣されて、州吁は濮で殺害された。
  • 衛の公子晋が邢から迎えられ、国君として擁立された。これが衛の宣公である。

誕生 編集

死去 編集

脚注 編集