細川潤一
細川 潤一(ほそかわ じゅんいち、1913年〈大正2年〉1月21日 - 1991年〈平成3年〉2月26日)は、日本の作曲家。本名:浅川 正躬。
福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)出身。旧制三潴中学(現・福岡県立三潴高等学校)を卒業後、同郷の先輩である古賀政男に刺激を受け、作曲家を志して上京。独学でギターと作曲を勉強し、1935年(昭和10年)からキングレコード専属作曲家として数々の作品を世に出した。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)9月、召集を受け海軍に入隊。終戦後も作曲家として活動し、三橋美智也の楽曲を多く担当した。1991年(平成3年)2月26日死去。享年78。
代表曲
編集- 『ああ我が戦友』(昭和12年2月)[林柳波作詞、歌:近衛八郎]
- 『国境ぶし』(昭和12年2月)[横沢千秋作詞、歌:新橋みどり]
- 『マロニエの木陰』(昭和12年3月)[坂口淳作詞、歌:松島詩子]
- 『月下の吟詠』(昭和13年6月)[佐藤惣之助作詞、歌:塩まさる]
- 『母子船頭唄』(昭和13年10月)[佐藤惣之助作詞、歌:塩まさる]
- 『椿咲く島』(昭和14年2月)[長田幹彦作詞、歌:三門順子]
- 『暁の決死隊』(昭和14年3月)[佐藤惣之助作詞、歌:三門順子]
- 『日の丸馬車』(昭和14年6月)[竹田鴻作詞、歌:筑波高]
- 『涙の責任』(昭和15年3月)[西条八十作詞、歌:樋口静雄・横山郁子]
- 『上海の踊り子』(昭和15年3月)[時雨音羽作詞、歌:松島詩子]
- 『広東の踊り子』(昭和15年9月)[時雨音羽作詞、歌:松島詩子]
- 『忠義ざくら』(昭和16年4月)[南条歌美作詞、歌:三門順子]
- 『筑紫の名月』(昭和16年9月)[南条歌美作詞、歌:三門順子]
- 『船は港にいつ帰る』(昭和26年3年)[高橋掬太郎作詞、歌:岡晴夫]
- 『男涙の子守唄』(昭和31年5月)[高橋掬太郎作詞、歌:三橋美智也]
- 『一本刀土俵入り』(昭和32年4月)[高橋掬太郎作詞、歌:三橋美智也]
- 『おさげと花と地蔵さんと』(昭和32年9月)[東条寿三郎作詞、歌:三橋美智也]
- 『古城』(昭和34年7月)[高橋掬太郎作詞、歌:三橋美智也]
- 『東村山音頭』(昭和38年)[土屋忠司作詞、歌:三橋美智也・下谷二三子]
- 『多摩湖小唄』(昭和38年)[土屋忠司作詞、歌:春日八郎・大津美子]
- 『復活』(昭和49年)[永井ひろし作詞、歌:春日八郎]
- 『柳川の女』(昭和51年)[矢野亮作詞、歌:三橋美智也]
- 『重忠節』(昭和53年)[畑やわら作詞、歌:三橋美智也]
- 『火の国節』(昭和53年)[本間繁義作詞、歌:三橋美智也]
- 『父子星』(昭和55年)[横井弘作詞、歌:三橋美智也]