細川 澄賢(ほそかわ すみかた)は、戦国時代武士細川典厩家(政賢流)当主。

 
細川澄賢
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 大永元年(1521年
氏族 細川典厩家
父母 細川政賢
兄弟 澄賢細川高国
晴賢
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略歴編集

細川政賢の子として誕生。生年は不詳だが、永正3年(1506年)に元服する[1]

永正の錯乱の際に父・政賢は細川澄元を支持して細川高国に敗れて本拠のある摂津国を追われて四国に下った。その後、永正8年(1511年)の船岡山合戦で政賢が戦死すると、細川澄元は澄賢を典厩家の後継者とするが、細川高国は従弟の細川尹賢を新しい典厩家当主としたため、同家は分裂した[2]

その後も、澄賢は四国において、反高国活動を継続するが、大永元年(1521年)に死去した[3]。元服してからの年数より30歳前後で亡くなったとみられる[2]

脚注編集

  1. ^ 『後法成寺関白記』永正3年7月3日条・『実隆公記』同年7月6日条
  2. ^ a b 馬部、2018年、P263・281.
  3. ^ 『大雲山志稿』一(東京大学史料編纂所謄写本)

参考文献編集

  • 馬部隆弘「「堺公方」期の京都支配と松井宗信」(初出:稲葉継陽・花岡興史・三澤純 編『中近世の領主支配と民間社会-吉村豊雄先生ご退職記念論文集-』(熊本出版文化会館、2014年)/所収:馬部『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02950-6